「ラスク書簡」によって日本領と認められたという大嘘
2008年08月17日
■竹島(=独島)問題を口実にした日本核保有論と「ラスク書簡」によって日本領と認められたという大嘘
以前から、ネット上では、竹島(=独島)問題に託けた「憲法改正論」や「核保有論」があることを知っていましたが、テレビ番組で観たのは初めてです。
8月2日の『あさパラ!』(読売テレビ)
勝谷誠彦 竹島 日本は核武装するべき!
コメンテーターの勝谷誠彦氏が、次のように発言しています。
- (4分35秒ぐらいから)日本が核武装すればいいんです。米軍に出て行ってもらって日本が核武装して竹島を一斉にして実力で奪還したらいいんですよ。
勝谷氏は、以前から『竹島奪還のために韓国と戦争すればいい』(ラジオでの発言)と述べている人なので、今さら驚きもしないのですが、こわいのは、ゲスト視聴者などの女性たちが、勝谷氏の主張に笑ったり頷いたりしながら同調しているという状況です。この番組は土曜日の朝9:25から始まる主婦向けの番組なのですが、関西にはこのようなテレビ番組が多く、悪影響を考えてしまいます。
それから番組内で、勝谷氏が「ラスク書簡」によって竹島が日本領と認められたという誤った主張をしているので反論しておきます。
- (1分45秒ぐらいから)もともと1950年代に、サンフランシスコ平和条約で日本の領土が確定する時に、韓国が「竹島はうちのものですよ」という書類をアメリカに送ったら、アメリカは「違います。日本のものです。」とちゃんと回答した文書が残ってるんです。当時のラスク国務次官補という人が、ちゃんと「あれは日本のもんです」って書いて送ってるんです。そしたらその後、李承晩っていう大統領が勝手に李承晩ラインを引きやがって、自分のところに入れてしまった。そこで韓国は強奪したわけです、竹島を日本から。だから当然アメリカは日本の味方になってくれていると思ってたのに、逆に韓国領って書いてあったことがまず驚きなんです。
そもそも「ラスク書簡」には、「(竹島)日本のものです」などと書かれていません。
サンフランシスコ平和条約における竹島の扱い(外務省ホームページ)から一部引用。
- この韓国側の意見書に対し、米国は、同年8月、ラスク極東担当国務次官補から梁大使への書簡をもって以下のとおり回答しました。
(中略)
- ドク島、または竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐島支庁の管轄下にある。この島は、かつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは見られない。
補足しますが、ラスク国務次官補が韓国に書簡を送ったのが1951年8月10日、条約最終草案が同年8月16日、サンフランシスコ平和条約の調印が同年9月8日です。
ラスク書簡は、確かに韓国領ということを否定していますが、積極的に日本領と認める記述はなく、1905年に日本が島根県に竹島を編入したという事実を述べているに過ぎず、曖昧さを残しています。
ここで簡単に、サンフランシスコ平和条約が成立するまでの経緯を説明しておきたいと思います。
内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』p217より
- 竹島=独島は、アメリカの第1~5次草案で韓国領とされましたが、第6次草案では日本のロビー活動の影響と、韓国外務部の消極的政策と無為無能のために日本領とされました。しかし、条約はアメリカ一国の考えで決まるわけではなく、連合国の承認をうる必要があります。その過程でイギリス案との調整がなされ、最終的には竹島を日本領、韓国領のどちらにするわけでもなく、条約に竹島=独島は片言隻句も記されませんでした。
(朴炳渉)
このように日本領案にも否定された経緯があり、草案過程でアメリカに韓国領案が否定された(「ラスク書簡」)といっても、それ自体に法的拘束力などありませんし、結果的にサンフランシスコ平和条約には竹島(=独島)の帰属先は一言も記述されていないのですから、日本領と認められたという解釈も成り立ちません。
それから駐日アメリカ大使館が国務省に送った書簡が発見されたことによって、「ラスク書簡」の認識は、サンフランシスコ平和条約が成立する直前に変更されていたことが明らかになっています。勝谷氏は自説に都合のいい情報だけを取り上げ、恣意的な解釈をしていると思われます。
【参照】アメリカ大使館の秘密書簡、(竹島=独島は)『朝鮮王朝の一部であった』
- 最終更新:2009-02-08 05:35:54