日本と韓国の思想(その9)歴史教育

2008/12/30 07:55



韓国の歴史教科書(国定韓国高等学校歴史教科書)が、朝鮮通信使に関して、どのように教えているのか、ご紹介しましょう。


まず、通信使派遣に至る背景について、次のように述べています。


「壬辰倭乱(秀吉の朝鮮侵攻)をきっかけに、朝鮮と日本の外交関係は断絶しており、したがって日本は経済的困難に陥っていた。ために、戦乱後成立した日本の徳川幕府は、先進文物を受け入れるために、対馬島主を通して交渉(通信使派遣)を許可するように朝鮮に懇請した。」


以上の記述は正しいでしょうか。秀吉の朝鮮侵攻の後で「日本が経済的困難に陥った」という事実はありません。このブログの「その6」に書いた通り、対馬は朝鮮からの米の援助が途絶えて、確かに経済的困難に陥っていました。だから「対馬が経済的困難に陥った」なら正確なのです。


しかし、日本の他の地域は17世紀に入って経済が活気を帯びつつありました。江戸の都市開発が目覚しく進み、大坂も新田や運河の開発や金融・商業の発達を見て、かなりの好況期でした。


二度に亘る秀吉の侵攻のために焦土と化した首都ソウルの再建費用が重い財政負担となり、更に女真の侵攻も始まって、「経済的困難に陥っていた」のは、むしろ朝鮮の方でした。


通信使が日本に与えた影響についても、韓国の教科書では不正確な表現が見受けられます。

  • 最終更新:2009-02-10 16:36:38

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