通信使が驚いた日本(その4)実学

2009/01/14 06:45



朱子学が朝鮮経済の発展を妨げた要因には、実学軽視の問題もあります。


李朝時代の科挙(官吏登用試験)における最難関は文科で、それに次ぐ武科もありましたが、その下にあって大変軽んじられていたのが雑科と呼ばれる実学科でした。主な受験科目は、文科が儒教の経典と朱子学理論、武科にはその他に兵書と実技があり、雑科の受験科目は「雑学」と賎称されていた外国語(日本語、中国語、蒙古語、女真語)、天文・地理学、医学、法律学、算学などの実用の学問でした。


文科や武科は実質的に両班階級しか受験できず、合格者は高級官僚となりましたが、雑科は両班の下の中人階級が受験し、合格者は両班官僚の政治を実務的に補佐する下級官吏にしかなれませんでした。


このように実学が軽視される李氏朝鮮時代の朱子学一辺倒の官僚制度が、科学技術や商工業の発展を妨げ、韓国の歴史に禍根を残したと思われます。韓国人がもともと商業や工業に向いていないということはないからです。


近江商人発祥の地である滋賀県蒲生郡日野町には、今でも鬼室神社があります。「鬼室集斯ら(百済人の)男女700人を近江の国の蒲生郡に遷して居住させた」と日本書紀天智天皇八年(669年)の条は記述しています。百済滅亡後に天智天皇は百済人を日本に引き取り、近江などに住まわせたのでした。


この事実から、司馬遼太郎は「近江商人の先祖は百済からの渡来人」と推定しています。また、有田焼、薩摩焼などの陶磁器は文禄・慶長の役の折に、日本軍が朝鮮から連れ帰った陶工たちによって始められたものであることは周知の事実です。


これらの事実からも、韓国人が民族的に商売に向かないとか、職人として劣っているということは言えないと思います。むしろそうではなくて、商才や技能に恵まれた個々人の力をも、朝鮮時代には、その実学軽視の朱子学支配が原因で、自国の経済発展に結び付けることができなかったと言えるのではないでしょうか。(19世紀に実学派の儒者が活躍しますが、影響力には限界がありました。)


次に、貨幣のことがあります。

  • 最終更新:2009-02-10 16:27:59

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