「植民地支配は絶対悪」について



2006年06月14日
 
■『マンガ嫌韓流』のここがデタラメ…「植民地支配は絶対悪」について


『マンガ嫌韓流』のここがデタラメ―まじめな反論 不毛な「嫌韓」「反日」に終止符を!対話と協力で平和を!!

作者: 太田修, 朴一
出版社/メーカー: コモンズ
発売日: 2006/05
メディア: 単行本


この反論本の中で特に共感したのは藤永先生の「植民地支配は絶対悪」という主張です。

こんな風に書くと「"絶対"などということはありえない」という批判が予想できますが、

「暴力」や「支配」など人間の自由や権利を著しく奪う行為に限っては、

「絶対悪」という表現を使うことに何ら問題はないと思います。



そしてこの「植民地支配は絶対悪」という言葉は、

『マンガ嫌韓流』の次のような主張に対する批判になっています。


上記の引用部分では、そもそも全く次元の異なる「善悪」と「感情論」という言葉を

並記することで「善悪」の価値を不当に貶めています。また、歴史を「善悪」という

現在の価値観で検証することを否定するスタンスは*1、「新しい歴史教科書をつくる会」

などの歴史修正主義に共通する考え方です。



そのような考え方に対して、歴史学者の山田朗は以下のように反論しています。


叙述される歴史というものは、常に歴史家が生きているその時代の価値観に

基づいて書き換えられていくものである。「歴史的に見る」とは、対象とする

時代の価値観で見るということではなく、対象とする時代に生きていた人々の

眼には何がどのように映っていたかを探るのと同時に、その人々には何が

見えていなかったかを知ることなのである。

「現在の価値観で過去を見るな」という論は、過去に起こったことは過去に

おいてはどうしようもなかったのだ、という議論につながり、結局、歴史という

ものから何も学ばないということに他ならないのである。


 
 

<山田朗*2『歴史修正主義の克服』P.86>



なお日本の加害に対して「善悪論を持ち出すな」「現在の価値観で過去を見るな」と

主張する歴史修正主義者たちも、欧米の帝国主義や広島・長崎の原爆投下のことに

なると、現在の価値観で「悪」として批判するという矛盾した態度を取っています。

 
 
 

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 *1:「歴史を学ぶとは、今の時代の価値観からみて、過去の不正や不公平を裁いたり、告発したりすることと同じではない。過去のそれぞれの時代にはそれぞれの時代に特有の善悪があり、特有の幸福があった」「歴史を固定的に、動かないもののように考えるのをやめよう。歴史に善悪を当てはめ、現在の道徳で裁く裁判の場にすることもやめよう」<西尾幹二他『新しい歴史教科書』P.6、7>

 *2:明治大学教授。専門は日本近現代軍事史。

  • 最終更新:2009-02-08 15:00:45

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