同胞虐殺の歴史光州事件など(虐殺20万人以上)

同胞虐殺の歴史


 朝鮮半島は日本敗戦(1945年8月)と同時にソ連軍の進駐を受け、北緯38°線を境にして、北側は共産軍(ソ連軍)、南側は連合軍(実質アメリカ軍)の軍政下におかれます。そして南側には、反共産主義国家である大韓民国ができます。
 1950年に北からの侵攻により朝鮮戦争が勃発しますが、その以前に、韓国(大韓民国)から共産主義者を一掃するための大量殺戮が始まっていました。結果として、共産主義者ではない一般市民までも巻き込むことになります。詳しい虐殺状況は、未だ分かっていないようです。例えば、保導連盟事件の場合、Wikipediaは虐殺された市民の数を少なくとも20万人以上としていますが、同時に、60万人から120万人とする研究結果も紹介しています。(在日韓国人には、これらの事件を逃れて日本に密入国した人も少なくありません)


1948年4月 済州島四三事件  島民6万人を虐殺
1948年10月 麗水・順天事件  非武装の民間人8000名を殺害
1949年12月 聞慶虐殺事件   非武装の女性、子供、老人の88人を射殺
1950年6月 朝鮮戦争     民間人の犠牲者は100万~200万人
1950年   老斤里事件
1950年   大田刑務所虐殺事件
1950年6月 国民保導連盟事件  少なくとも20万人あまりを大量虐殺
1951年   西山村虐殺事件
1951年1月 国民防衛軍事件   飢えと寒さで9万名余りの韓国軍兵士が死亡
1951年2月 居昌良民虐殺事件  719名虐殺(内、子供385名)
1980年5月 光州事件      死亡者数は170人(民間人144人・軍人22人・警察官4人)










  • 最終更新:2012-10-15 18:21:37

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