宣教師シャルル・ダレの著書「朝鮮事情」より抜粋



では何故、李氏朝鮮の学者は于山島と鬱陵島を別の島として考えてしまったのでしょうか?
何故、于山島と鬱陵島が同一の島である事さえ忘れてしまったのでしょうか?
おそらく、鬱陵島の地理すら正確に把握していなかったからでしょう。
無人島政策を行なっていて、事実上、捨てていたからです。
また中国の歴史ばかりを勉強し、自国の歴史を軽んじていた事も原因だと思われます。

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■19世紀末のフランス人宣教師シャルル・ダレの著書「朝鮮事情」より抜粋。
※1866年にソウルで処刑されたダブリュイ主教が収集した資料を基礎に編纂。

朝鮮の学者は、自国の文献を全く信用していない。
また決して研究対象にする事は無い。
中国の歴史書だけを読む事にしている。
時々、朝鮮語で書かれた簡略な歴史本を見かける事もある。
しかし、それは女や子供が気晴らしの為に読む、真偽が混ざった玩具のような本である。
学者達は、それを開いて見る事さえ恥辱だと思っている。
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驚くべき事に、李氏朝鮮には鬱陵島の地図さえ正確な物は一枚もありません。
独島(竹島)に関しては不正確な地図さえ一枚もありません。

学問レベルが信じられない程、低いのです。




  • 最終更新:2009-03-06 15:59:03

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