平和条約で竹島=独島が日本領と認められたというウソ

2008年07月19日
 
■サンフランシスコ平和条約で竹島=独島が日本領と認められたというウソ
 

前回のエントリーでは、竹島(=独島)問題を国際法廷に提訴することが、両国間の紛争は外交交渉や調停によって解決を図ると定めた「日韓条約」の精神に反するということをお伝えしました。国際法廷で争うことだけが平和的解決ではないと思います。それから以前からネットでしばしば「現在、日本政府は国際法廷に提訴している」というデマを垂れ流している人を見かけますが、日本政府は過去に提訴を提案したことはあっても実際に提訴したという事実はなく、現在は提訴に関する動きもありません。



最近、竹島(=独島)問題は歴史修正主義問題だと考えるようになりました。現在ネットなどで「竹島(=独島)は日本の領土」と主張する人のほとんどが、史実究明よりも嫌韓を煽ることに重点をおいているような気がします。真面目に冷静に議論している方は別として、主張のほとんどを日本領とする根拠を示すよりも韓国に対する非難にあてているような人に竹島(=独島)問題を正しく認識できるとは思えないのです。しかも従軍慰安婦問題に関して「日本の領土を不法占拠するような国の人間が言うことなんてまともにとりあわなくていい」とか、憲法改正問題にしても「日本の領土を不法占拠している危険な隣国から身を守るために9条を変えるべき」という呆れた主張を見かけるようになったため、このまま見過ごす訳にはいなかくなりました。



一方で、国際法廷の件と同様によく持ち出されるのが「サンフランシスコ講和条約で竹島(=独島)が日本領と認められた」という主張です。日本政府は講和条約の「日本が放棄すべき地域」に竹島(=独島)が含まれていないことを根拠の一つに挙げています。



サンフランシスコ平和条約における竹島の扱い(外務省ホームページ)


    • (1)1951(昭和26)年9月に署名されたサンフランシスコ平和条約は、日本による朝鮮の独立承認を規定するとともに、日本が放棄すべき地域として「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」と規定しました。



前回のエントリーにトラックバックをいただいた『カナダde日本語』(美爾依さん)のコメント欄でも同様の議論を見かけ気になったで、今回はこの問題を考察していこうと思います。



そもそも講和条約の非調印国である韓国が、同条約により著しい不利益を強制されることは国際法上ありえません。竹島(=独島)問題の研究者・朴炳渉氏も次のように指摘しています。



内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』p47より

    •  講和条約で竹島=独島が一言も記述されなかった結果、講和条約の非調印国である韓国は竹島=独島に対する統治権をそのまま維持することになりました。一般に、講和条約において条約の非調印国である第3国の既得権益は侵されないというのが国際法の慣習です。



確かに平和条約では日本が放棄すべき領域として竹島=独島が挙げられていないのですが、それを根拠に日本領と解釈するのは果たして妥当でしょうか。竹島(=独島)を日本領とする記述もまた見当たらない*1のですから、平和条約で日本領と認められたことにはならないのです。これは条約が成立するまでのプロセス(下記)をご覧いただければはっきりとわかります。



内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』p217より

    •  竹島=独島は、アメリカの第1~5次草案で韓国領とされましたが、第6次草案では日本のロビー活動の影響と、韓国外務部の消極的政策と無為無能のために日本領とされました。しかし、条約はアメリカ一国の考えで決まるわけではなく、連合国の承認をうる必要があります。その過程でイギリス案との調整がなされ、最終的には竹島を日本領、韓国領のどちらにするわけでもなく、条約に竹島=独島は片言隻句も記されませんでした。
                        (朴炳渉)



このように日本領案も認められず削除されたという経緯があるのですが、外務省のホームページは韓国領案が認められなかったことだけを強調することによって、いかにも日本領案が認められたかのような偽装をしています。もしも外務省が主張するように竹島=独島が日本領と認められていたとしたら条約に日本領案の記述が残っていたはずではないでしょうか。


さらに詳細として、サンフランシスコ講和条約が発効されるまでの年表を下記に引用します。ご一読ください。


 
 
内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』p337~P338を元に表を作成しました。

サンフランシスコ講和条約関係年表

     
1946年(昭和21)1・29 SCAPIN677号、竹島=独島、北方4島を日本から分離
1947(昭和22)3・20 米国第1次草案、竹島=独島を韓国領、北方4島記述なし
8・5 米国第2次草案、竹島=独島を韓国領、北方4島を日本領
1948(昭和23)1・12 米国第3次草案、竹島=独島を韓国領、北方4島を保留
8・15 韓国独立
1949(昭和24)10・13 米国第4次草案、竹島=独島を韓国領、北方4島を保留
11・2 米国第5次草案 、同上、ただし北方4島は日本に同情的
1・19 米国、シーボルト意見書、竹島=独島、北方4島を日本領
12・29 米国第6次草案、竹島=独島、ハボマイ・シコタンを日本領
1950(昭和25)6・25 朝鮮戦争勃発
8・7 米国第7次草案、竹島=独島や欝稜島、北方4島の記述脱落
9・11 米国第8次草案(対日講和7原則)、同上
10・26 豪州政府質問への米国回答、竹島=独島を日本領
1951(昭和26)2・28 英国第1次草案、済州島や欝稜島、竹島=独島を日本領に線引き
3・3 米国最終草案、竹島=独島、北方4島の記述脱落、韓国へ提示
3・ 英国第2次草案、済州島や欝稜島、竹島=独島を韓国領に線引き
4・7 英国最終草案、同上
5・3 米英共同第1次草案、竹島=独島の記述脱落
6・1 共同草案への米国注釈書、竹島=独島にふれず
6・14 米英共同第2次草案、竹島=独島の記述脱落
7・12 韓国第1次覚書、連合国への参加10項目を要求
7・19 韓国第2次覚書、独島など5項目を要求
7・26 韓国第3次覚書、マッカーサーラインの存続など3項目要求
8・10 米国、韓国へラスク書簡、竹島=独島を日本領とみなす
8・16 条約最終草案、竹島=独島や北方4島の記述脱落
9・8 サンフランシスコ対日講和条約調印
1952年(昭和27)4・28 サンフランシスコ条約発効、竹島=独島にふれず
10・3 駐日米大使館書簡、日韓双方の竹島=独島主張を容認

 
 


このような紆余曲折を経て、竹島=独島の文字は最終的に条約に一言も記載されませんでした。英国最終草案では竹島(=独島)を韓国領に線引きしていたことから折衷案を取ってどちらの領土ともしなかったと解釈するのが妥当ではないでしょうか。韓国領案も日本領案も削除されたということは、竹島=独島問題は棚上げにされたということです。したがって講和条約によって日本領土と認められたことにはなりません。



今回は書ききれなかったことですが、外務省ホームページが国際法違反と主張している李承晩ラインはマッカーサーラインを継承したものであり、国際法違反という根拠が不明です。また、米国がラスク書簡によって韓国領土ということを否定したと主張していますが、その米国の見解はすでに変更されています。次回以降に取り上げていく予定ですが、外務省は意図的に情報隠しをしています。

  • 最終更新:2009-02-09 08:00:24

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