日本と韓国の思想(その2)

2008/12/13 11:45


江戸時代に来日した第9回朝鮮通信使の製述官(記録官兼文化交流官)の申維翰(シンユハン)という儒者が『海游録』に日本の印象を書いています。


1719年に将軍吉宗の就任を祝って来日したときの紀行文ですが、日本で見聞したことを素直な驚きをもって記述しているので、当時の日本と朝鮮の社会や文化の違いが浮き彫りになっています。


例えば、朝鮮には科挙(官吏登用試験)があり、儒教を学んだ者に仕官の路が開かれていますが、日本にはそういうことがありません。その利害得失を測って、日朝の儒教文化の違いを洞察する彼の視点には、現代にも通じる新鮮なものを感じました。


彼はこのように書いています。「(科挙のない日本では)科挙の模範答案を丸暗記するような弊害がなく、(好学の士が)十分学習して窮め尽すから彼らの見識はすこぶる高い」。ここでは、儒学を自由に学ぶ日本の儒者を羨ましがっているようでさえあります。


申維翰が来日した頃は、元禄バブルがはじけ、吉宗の緊縮財政が始まった頃ですが、『海游録』の著者が見る日本は元禄の名残を残しているようにも見えます。


このブログでは、まず、朝鮮通信使に至る時代背景やその概要をご紹介し、次に、前述したように『海游録』の著者が日本に来て見て驚いた事柄が沢山ありますのでそれらをかいつまんでご紹介します。


驚いたということは、その頃から日韓の相違が大きかったということですから、その違いがどこから来たのかなどを、併せて考えてゆきたいと思います。

  • 最終更新:2009-02-10 16:45:18

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