日本と韓国の思想(その4)サヤカ

2008/12/18 09:10


サヤカは、加藤清正の配下にあった自分が、何故投降して故国に叛いたのかを、朝鮮国王に提出した文書の中で次のように述べています。




「清正の名分のない戦に三千の兵を率いて参加し、朝鮮の礼儀が中華(儒教)のままであることを知りました。私は百万の大軍さえを相手にする勇気と武器を持っています。しかし、仁義の国を討つことは出来ないと考え、悩みぬいて、一度も戦わずに投降しました」。






司馬遼太郎は『韓のくに紀行』の中で「この文書を書いたのは、サヤカ本人でなくサヤカの子孫であろう」と推測しています。サヤカ本人なら、「清正の名分のない戦」と書かずに「秀吉の・・・・」と書いた筈ですから、私もそう思います。それにしても先祖であるサヤカの心を汲んで書いたものでしょう。サヤカがいかに、儒教文化に憧れていたかを窺い知ることが出来ますね。






秀吉の時代に既に日本では、禅僧・藤原惺窩(ふじわらせいか)が、徳川家康に儒教の朱子学を講じたりしておりましたから、サヤカもその時代の影響を受けていたのではないでしょうか。

  • 最終更新:2009-02-10 16:43:26

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