日本と韓国の思想(その7)柳川一件

2008/12/27 06:45



この国書偽造・改ざんのドタバタ劇は、約30年後の1635年に至って対馬藩の家老・柳川調興(やながわしげおき)が「おおそれながら」と、幕府に訴え出て表面化します。


柳川は藩主を告発して破滅させ、自らは幕府直参の旗本に栄進することを狙っていたのです。彼を支持する大名も多くいて、柳川に勝算があってのことでした。


諸大名が固唾を呑んで注視する中、江戸城大広間は将軍の御前で、対馬藩の藩主と家老が口角泡を飛ばして対決するという、前代未聞の大椿事が展開されることとなります。


時の将軍家光は双方の言い分を聞いた上で、「藩主の宗義成は無罪である」とし、一方、「訴え出た柳川は津軽に流罪とする」と判決をくだします。柳川にとっては驚天動地の敗北でした(柳川一件)。


伊達政宗が宗氏を強力に弁護したとも言われますが、朝鮮との講和がそもそも無効であったというようなことにならないよう、家光が政治的配慮をしたものではないでしょうか。


以上は、後日談でした。話を元に戻しましょう。

  • 最終更新:2009-02-10 16:39:26

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