木庵先生#12

竹島問題#12(韓国人の精神構造、韓国政府の主張)

韓国人の精神構造(木庵が考える)(後半)


<安龍福の証言の内容を分析すると、彼の人間性がよく出ている。例えば、「『おまえ等縛ってしまうぞ』と、舳先に進んで大喝してやりますと」とか、「倭人達は釜を列ねて魚膏を煮ている最中でした。そこで私は杖で撞き破り、大声で叱り付けてやりますと」というところなどは、空威張りで逆に安龍福の倭人に対する劣等感がでている。そして、「帰国に際しては食糧と護衛の使者をつけて下さると言ってくれたのですが、差障りがあると申しまして、お断りいたしました。」というところは、どこか高貴な人間のような物言いである。日本では鳥取藩の前では横柄で凶暴に振舞った安龍福も、朝鮮では神妙ではあるが、好き放題の作り話をしている。当時朝鮮政府と江戸幕府の間には、対馬藩を仲介に何とか関係を保っていた。だから、ある程度日本の事情について朝鮮の官憲は知っていたであろうから、安龍福の嘘を見抜いていただろう。しかし、嘘を追及することなく、嘘の証言を、『粛宗実録』という政府の正式な記録として後世にまで残している。その背景として、朝鮮は中国の版図の関係において、日本より上位にあるという意識から、安龍福がたとえ嘘をついても倭人を一つ下のランクとして遇しているのは、朝鮮の人間としては当然のことであり、よくやったという気持ちがあったと思う。朝鮮の官僚は誇り高く、倭人を叱り飛ばすとか、釜をたたき破るのような野蛮は態度は絶対にしない。しかし、一人の朝鮮の漁民のこのような行為は別に咎める気持ちはない。そして、安龍福の偽証が朝鮮の歴史の中で事実として受け継がれてきた。それでも、事大主義の蔓延る朝鮮では、日本の統治時代には安龍福のこと、竹島のことなど、ほとんど考えたり語ることなどしなかった。しかし、一部の朝鮮愛国の学者のなかで、静かに『粛宗実録』などの歴史書の研究がなされていた。そして、安龍福の言ったことが偽証など思いも寄せていない。なぜなら日本の歴史書との比較研究などしていないからである。朝鮮を愛するのが精一杯で、他国の資料など参考にする余裕などない。偏狭ではあるが真摯な学者の心が後世に伝わり、後世の人は『粛宗実録』は真実の歴史書であり、安龍福は朝鮮民族の英雄と思うようになる。聞くところによると、安龍福将軍という名の銅像が釜山港に建っているという。漁民であった安龍福がもはや将軍として韓国の英雄に祭り上げているのである。この信仰にまでなった安龍福像をどう崩していくことができるであろうか。結論から言うと、非常に難しい。安龍福像は朝鮮民族の国民感情であり、信仰である。それに戦後韓国ではハングル文字使用が主になり、漢字を読める人間が少なくなった。ソウル大学には歴史資料が大量に所蔵されているが、それを読みこなす学者がもはや一握りしかいなくなっているという。もはや韓国では、過去を客観的に認識する感情も能力もないということである。
  韓国にしても中国にしても嘘を平気で真実のように語る民族性をもっている。このような欠陥ある民族にまともに議論などしても意味がない。彼らと対峙するより第三者への働きがけの方がよいであろう。ところが日本が油断すると、彼らは狡猾であるから、第三者、国際的な舞台で、世界が日韓や日中に関する歴史的事実など無関心なところをついて、好き勝手な嘘のプロパガンダをおこなっている。「嘘も100回言えば真実になる」ということの意味を一番よく知っているのは、この両民族である。毅然たる態度を示さないと、日本は中国、韓国の策謀に嵌められることになるだろう。木庵> 


韓国政府の主張


  日韓の間には、竹島問題に対する二つの異なる歴史理解が生まれ、竹島問題が浮上するたびに、その溝は深められていった。
  1954年2月10日付け日本政府からの覚書に対して、韓国政府は同年9月25日付の「独島(竹島)領有に関する二月一〇日付、亜二第一五、日本外務省の覚書として日本政府が取った見解に反駁する大韓民国政府の見解」を提示している。なお9月25日は、日本政府から韓国政府に対して、竹島問題の解決を国際司法裁判所に付託すべく提案がなされていたときと重なっている。竹島が韓国側によって武力占拠され、韓国の海岸警備隊が竹島に駐屯する時期、日韓の間では激しい論争がなされたのである。木庵が参照している著書『竹島その歴史と領土問題」では、資料「大韓民国政府の見解」として。長文の大韓民国の見解の全文が掲載されている。木庵が今まで竹島問題を分りやすく(?)、簡明に説明しようとしてきたが、この全文を紹介するとすると、恐らく読者は混乱するだろう。それは木庵が重要な資料に焦点を合わせて説明したが、木庵が提示した資料から付随する資料の名前などが出て、読者は混乱するだろう。あえて単純化して述べるなら、「独島(竹島)領有に関する二月一〇日付、亜二第一五、日本外務省の覚書として日本政府が取った見解に反駁する大韓民国政府の見解」は、#5で述べた、「崔南善が示す歴史的根拠」とほぼ同じ論述である。


資料「大韓民国政府の見解」


「独島(竹島)領有に関する二月一〇日付、亜二第一五、日本外務省の覚書として日本政府が取った見解に反駁する大韓民国政府の見解」

一、 大韓民国政府は、標題の件に関する日本政府の見解を慎重に検討した。しかしながら日本政府が歴史的事実として各種文献と史蹟を利用している仕方は、全く不正確であり、かつ独島所有に対する国際法上の諸条件を充足された、と言う日本政府の主張もまた全く根拠がない。大韓民国政府は次の歴史的事実を列強することによって、日本政府が取った見解に反駁しようと思う。
で、始まる韓国政府の見解は、日本側が信憑性を疑っている資料を基に論述している。だから、日韓の見解は平行線であるのは言うまでもない。そして、次のように結論づけている。
五、要するに前述したごとく、日本政府がいわゆる歴史的事実に依拠したとする独島に関する言明は、独島が韓国領土の完全な一部であるという確固たる事実に、何らの影響も与えはしない。今や、独島に対する韓国の領有権の主張は、数回にわたり反復表明したように、地理的にも、法律的にも、正当かつ適切であることは明白となった。これによって大韓民国政府は、矛盾と憶測に満ちた「一九五四年二月一〇日付、亜二第一五号、外務省覚書として独島領有権に関して日本政府が取った見解」を容認することが出来ない。
  最後に大韓民国政府は、独島が韓国領土の完全なる一部であることに、全く疑問の余地がないことを再度言明しておく。
以上のように、「独島(竹島)領有に関する二月一〇日付、亜二第一五、日本外務省の覚書として日本政府が取った見解に反駁する大韓民国政府の見解」の前文と結びのみを紹介し、本文を割愛したが、前述したように内容は#5で書いた『崔南善が示す歴史的根拠」が主な論旨である。読者に整理してもらうために、 もう一度、『崔南善が示す歴史的根拠」を掲載する。

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  • 最終更新:2010-05-27 02:12:13

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