木庵先生#14

竹島問題#14(新藤義孝「いま竹島で何がおきているのか~怒りの外務委員会報告~」) 

(新藤義孝「いま竹島で何がおきているのか~怒りの外務委員会報告~」) 

 
新藤氏「竹島は韓国に不法占拠されているかと聞いている。不法占拠されているのか」

 岡田氏「竹島は日本の領土。しかし、今実効支配するには至ってません」

 新藤氏「では韓国の不法占拠を認めないのか」

 岡田氏「何回も答えている。そういう表現を使いたければそういう表現もできると思う」

 新藤氏「だったらあなたの口からそう言ってください」

 岡田氏「どう答えろと指示される立場に私はない。あなたと考えは同じだ」

 新藤「私は不思議で仕方ありません」

結局、岡田外相は「韓国が不法占拠した」という日本政府の立場を最後まで口にすることなく質疑を終わった。


竹島ヘリポート韓国が大規模改修

★★★竹島ヘリポート韓国が大規模改修★★★MSN産経ニュース 2010.4.4 01:15

 日本固有の領土であるにもかかわらず韓国が不法占拠している竹島(韓国名・独島)に韓国が設置した
ヘリポートの大規模改修計画が進み、周辺に海洋科学基地も計画されていることが3日、分かった。
大規模改修は軍事衝突を念頭に置いたものとされ、韓国が「竹島支配」を既成事実化する狙いがあると
みられる。
 改修問題は衆院外務委員会などでも報告されているが岡田克也外相らは「承知している」と繰り返すにとどまり、対応は明言していない。
 韓国紙の報道などによると、韓国は不法占拠後の1981年に竹島の東島に建設したヘリポートの改修を決定したという。すでに今年2月に設計契約を終え、9月に完成予定。改修後のヘリポートは、これまでの2・5倍となる重量25トンの軍用輸送ヘリコプターが離着陸でき、警察1個部隊(約40人)の緊急派遣が可能になる。夜間照明を備え、24時間運用が可能だという。 報道などでは改修の目的について、
政府機関関係者が「突発的な軍事衝突に迅速に対応するため」と発言したと伝えられている。

ホ・テヨル“対馬返還決議案処理しなければ“ハンナラ党,日本教科書独島(ドクト)領有権主張に対抗して提案

竹島の領土問題、海底に眠るエネルギー資源狙いだけでなく、24時間体制でいつでも日本を
占拠可能な軍事施設が日本国内に出来てしまうという国防の危機を考えられていますか・・・?


■竹島問題と在日朝鮮人特権の歴史年表をよく読んで欲しい 朝鮮資料館様より転載


■1949年01月:李承晩、政府樹立直後の新年記者会見で日本に対馬島返還を要求。
(この要求はGHQにより「根拠がない」と却下。日本も拒否。)
1949年02月:韓国軍一斉に釜山に集結開始(対馬返還の後押し、または対馬上陸作戦を画策したものと推察)
1949年04月:国連安保理、韓国の国連加入案を否決
1949年05月:米軍から李承晩政権への武器供与を停止
1949年06月:米、韓国撤退完了を発表
1950年01月:米韓軍事援助相互協定調印。が、米は韓国側からの軍事支援要求を拒否。
1950年04月:韓国、空前の大インフレ。年間200%を達成。
■1950年6月 朝鮮戦争始まる
   ・北朝鮮怒濤の南下、北による統一直前に至る。
   ・日本に大量の韓国人避難民が到着。
■同年7月 GHQレッドパージを発動、日本占領方針を転換。
■同年9月 国連軍出動
(安保理事会をソ連が欠席し、拒否権を行使しなかったので国連軍が成立)
   ・国連軍怒濤の北上、あと少しで南による統一寸前。
   ・GHQの命令で、旧日本海軍の残存部隊、国連軍に協力し朝鮮戦争で機雷掃海を行う。
■同年11月 中国共産党 中国義勇軍で参戦。
   ・38度線付近まで押し返され、戦線膠着。

■1951年7月 休戦会談開始
■同年9月 日本と連合国はサンフランシスコ講和条約調印、
 1952年4月に日本が独立回復することが決まる。

■1952年1月 
 朝鮮戦争のさなか、国連軍の後方基地と機雷掃海を引き受けていた日本に対し、
 韓国政府は、日本が独立回復する前に、李ラインを宣言。竹島を電撃占領。
 多くの日本漁船が攻撃され死傷者多数・拿捕された。
 韓国が拿捕した日本船籍の船舶数:328隻(行方不明併せると340隻)
 抑留された日本人の数:3929人
 拿捕の過程での死傷者数:44人(殆どが射殺と溺死)
 日本は抗議するものの、GHQ占領下で涙を飲む。
(在日特権は3995人の人質と引き換えに日本刑務所にいた400名弱に付与された、これ以外は全て詐欺による取得と言える)
■同年4月28日 ようやく日本独立を回復。

■1953年7月 朝鮮戦争、休戦協定成立。 (中国と北朝鮮軍事同盟を結ぶ)
 ・避難民は帰国せず、日本に居着き、いつの頃からか、強制連行されたとウソをまき散らす。
 竹島占領は、まさに火事場泥棒だった。
■日韓基本条約締結、賠償(身代金)3億ドル(当時のレート支払済み)日本刑務所の在日朝鮮人に特権付与と引き換えに日本漁民開放
(この3億ドルはボスコなど企業設立に使用され、日本にかなり還流した。元々韓国は農業主体で、工業は無かったのである)
■韓国の領土侵犯と朝鮮戦争(停戦中)これらの事件によりGHQの方針が変わり日本の軍備が成された。
警察予備隊>自衛隊の誕生である。日本と朝鮮半島はアジアのスイスとなる国連計画だったが、朝鮮人の醜い争いが全てを変えてしまい今に至る。朝鮮半島は戦後ずっと不安定な紛争地帯のままだ。

         ★日本の漁民を人質にして在日特権(永住権)を獲得した韓国★


・1952年、当時の大統領李承晩は国際法のルールを無視し、
 「李承晩ライン」を勝手に引き、そして李承晩ライン内にある竹島を韓国領土だと主張してこれを占領。

・竹島周辺で操業をしていた漁船328隻が拿捕され、3929人もの漁師が抑留。
 その期間は、1965年の李承晩ライン廃止まで13年間。拿捕時に銃撃や追突を受け、44人の死傷者を出す。

・拿捕した漁師を人質に取り、「日韓基本条約」と「日韓法的地位協定」の交渉を有利に進める。

・13年後、1965年、日本と韓国は在日の扱いをどうするかの「日韓基本条約」と「日韓法的地位協定」が
 結ばれ、 その結果、在日韓国人に無条件で子々孫々永住が出来る資格が与えられる。

韓国は李承晩ラインを盾に何名くらいの日本人を抑留し、日本漁船を拿捕したのか?

3,929人が抑留され、328隻が拿捕されたし、その過程で四十四名の方が死傷してしまった。

一方、日韓の国交正常化交渉でいちばん大きな問題は、朝鮮半島に残された日本人の個人資産の処置問題であった。
その個人資産は、当時の韓国経済の80%に当たるともいわれていたからだ。

韓国側としては、それを持ち出されたら困る。
何とか、日本側に搬出させないためにはどうしたらよいのか。
そこで韓国側が外交カードとして使ったのが、拉致した漁民たちである。
「竹島問題」や「李承晩ライン」、個人資産問題で日本側が譲歩すれば、漁民を解放しようというのである。

勝手に正当化している不法占拠を許すだけでなく、安全を脅かされる事にも気付かない日本人が心配です・・・



     木庵先生#13≪≪ 



  • 最終更新:2010-05-27 02:19:18

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