独島妄言 1947年 COM


1947.03.19 日付アメリカの草案 

   (U.S. Draft made on March 19. 1947)
    Article 1では日本の主権かに残る主な島の名前しか記載がない。緯度経度は記載されない
    Article 4では、済州島、巨文島と、鬱陵島、と竹島が日本が放棄する領土に記載される

  Japan hereby renounces all rights and titles to Korea and all minor offshore Korean islands, including Quelpart Island, Port Hamilton, Dagelet Island (Utsuryo) Island andLiancourt Rocks (Takeshima).


1947.06.19 極東委員会において決定された「降伏後の対日基本政策」


「日本国の主権は、本州、北海道、九州、四国の諸島及び今後決定されることのある周辺の諸小島に限定される。」
321p


1947.07.23.

  版圖? 野慾? 觸手 ? ??? 日人? 侵略性 鬱陵島近海 「獨島」問題再燃//當然 ?? ? 申國史館長談 翻 訳

 鬱陵島近海『獨島』問題再燃  (以上見出し)


日本人たちは、朝鮮から退いて行ったあとも、あらゆる悪を尽くしているが、
憎たらしいことに、我々の版図にまで野慾の魔手を伸ばしている。

すなわち、東海の鬱陵島の東南49マイル地点にある2個の無人島の獨島があるが、その左島は周囲1マイル半、右島は半マイルの小さな島で、この島は古い昔から我々の漁業場として、また国防の基地として、我々の堂々たる版図に属していたものである。

ところが、最近になって、日本の島根県、境(さかい)に住む日本人が、この島は自分の個人のものだとして朝鮮人の漁業を禁じており、また、日本人が我が国の領海に侵入しているため、鬱陵島の島民が慶北道を通じて軍政当局に陳情して来た。

ところで、この島は、いわゆる韓日合併前の光武10年にも、日本人の官憲が不法に上陸し調査をして行ったことがあり、その当時、朝鮮政府内外では物議をかもしていたが、その後、いわゆる韓日合併となって、この問題がうやむやとなり、日本人たちは元来自分たちの領土だと言ってきたものだ。しかし今や解放となり、今日では、地理的にも歴史的にも当然にわが版図内に属するものだ。
(カット=問題の獨島)
当然我々のもの 申国史館長談
「地理的に、歴史的に見て、当然に我が国の版図に帰属すべきものであり、独立国家になったあとも、軍事上また経済上重大な地点になりうる。当面する問題としては、漁場開拓上、重大な関心と利害をもたらしているので、「マッカーサー」司令部でわが版図と確定させなければならない。」
(翻訳:matsu氏/dokdo-or-takeshima.)


1947.08.03.獨島問題重大化,搜索委員會組織?協議//???國土秋日本課長談


●●●●● ●●●●● 日本人が、わが版図である鬱陵島近海にある獨島に●●●野慾の魔手を伸ばしているということは既報したところであるが、過渡政府では、同問題を重要視し、民政長官が委員長となり、獨島に関する捜索委員会を組織して、4日午前10時から中央庁民政長官室において、その対策について ● 協議することになった。

我々の国土 秋日本課長談
「この問題は、わが国土に関することであるので、重大な問題であり、この委員会は、獨島に関する歴史的考察と現地調査をして、『マック』司令部に報告し、わが国土であるということを世界に宣布しなければならない」

安在鴻(アン・ジェホン)を民政長官とする南朝鮮過渡政府は8月初め独島問題に対する具体的な対応策をまとめた。過渡政府は民政長官を委員長とする「独島に関する調査委員会」(一部資料では交渉委員会と表記)を組織したのち、1947年8月4日官界方面の専門家を招請し中央庁民政長官室において会議を開いた。

秋仁奉(チュ・インボン)過渡政府日本課長は調査委員会が独島に関する考察と現地調査をしマッカーサー司令部に韓国の領土であることを報告する計画であると述べた

会議の結果2つの方向で対策がたてられた。1つは歴史的文献の発掘作業でありもう1つは現地調査であった。
(翻訳:matsu氏//dokdo-or-takeshima)


1947.08.03.漢城日報鬱陵島踏査隊朝鮮山岳会で派遣 


東海の孤島であり我が国土の東辺の端鬱陵島学術調査隊派遣は、朝鮮山岳会の今年度夏期事業として、来る16日ソウル出発18日浦項経由で前後2週間、我が学界の重鎮を網羅していよいよ決行されることになった。    絶海の孤島のため自然と風土、文化において陸地帯とは特異な点が多いため、戦争中はもちろん、解放後にも内陸との交渉が極めて乏しかったこの島に強力な学術陣を派遣してその全貌を明らかにするのは意義深いことであり、各方面の声援と期待が大きいが、各方面の編成は次のとおり。▲社会科学班A(歴史、地理、経済、考古、民族、言語)▲同上B(生活実態調査)▲生物学班A(植物)▲同上B(動物)▲地質鉱物班▲農林班▲医学班▲水産班▲気象班▲報道撮影班▲本部(総務、装備、食糧、輸○)


Chaamie氏@dokdo or takeshima


1947.08.05日付アメリカによる草案 (U.S._Draft_made_on_August_5.2C_1947)


Article1-1では日本の主権かに残る主な島の名前と、緯度と経度を用いて記載される
    1-2では.領海線は現在の条約素案に取り付けられたMapNo.1で示されます。との記載がある.
Article4では、済州島と巨文島と、鬱陵島と現竹島が放棄する領土に含まれる旨が記載される。放棄する範囲が緯度と経度、地図をを用いて示される

Japan hereby renounces all right and right to Korea (Chosen) and all offshore Korean islands,including Quelpart (Saishu To);the Nan How group (San To, or Komun Do) which forms Port Hamilton (Tonaikai);Dagelet Island (Utsuryo To, or Matsu Shima);Liancourt Rocks (Takeshima);and all other islands and islets to wish Japan had acquired title lying out side the line described in Article 1 and to the east of the meridian 124°15' E. longitude, north of the parallel 33°N. latitude, and west of a line from the seaward terminus of the boundary at the mouth of the Tumon River to a point in 37°30' N. latitude, 132°40' E. longitude.This line is indicated on the Map NO.1 attached to the present Treaty.


1947.08.05.「獨島」? ?? 版圖 ?史的 證據文獻? 發見 搜索會? 「Mac」司令に報告


 中央庁では、独島問題を重大視し、捜索委員会を組織したことについては既報の通りであるが、4日、民政長官室で、同委員会では関係方面の権威者たちが多数参席する中、委員会を開き、独島がわが版図であるという有力な証拠物を得た。
 すなわち、歴史的証拠●●と、独島が江原道行政区域に編入されるという日本人の地理学論文が発見されたとして、同委員会では、周到緻密な調査●●●として『マック』指令に報告することになった。
 初日、会議において発見された証拠文献は独島が江原道行政区域に編入されるという日本の地理学者の論文だった。
(樋畑雪湖.1930.日本海における竹島の日鮮関係に就いて 歴史地理日本歴史地理学会の事か?) 
(翻訳:matsu氏//dokdo-or-takeshima.)


1947.08.07.「獨島はわが領土 史的証拠文献発見」 東光新聞


初日、会議において発見された証拠文献は独島が江原道行政区域に編入されるという日本の地理学者の論文だった。
(樋畑雪湖.1930.日本海における竹島の日鮮関係に就いて 歴史地理日本歴史地理学会の事か?)


1947.08.16 韓国山岳会の第一次独島調査(8月16日から2週間)



1947.08.17大邱日報「独島調査団16日登程」


 鬱陵島近海にある独島の領有権問題は、中央においても民政長官直属の交渉委員会が組織されて独島に対する調査を進行しているところ、16日、中央から4名の調査団が来道し、現場へ出張することになったが、これと共に、慶北道においても崔地方課長と職員1名がこの調査団に参加して実地調査を行うという。
Chaamie氏@dokdo or takeshima

1947.08.20. 1947.08.20 洪在現陳述書


1947.08.??


米軍政当局側は独島調査団派遣の事実について対外的発表や広報をまったくしなかったようだ。米軍政記録にみられる独島調査団関連記録は既述の南朝鮮過渡政府活動報告書に登場する1件のみである。ここで米軍政当局は独島がすぐれた漁業前進基地として鬱陵島南西側(原文のまま)に位置する2つの小島から成っており、現在領有権が論争の的となっていると書いている。即ち過去においては日本の占領下にあったが、現在はマッカーサーラインにより韓国側の漁業区域に確定されており、この島の終局的な帰属問題は日々迫りつつある対日平和会談において決定される問題であるとまとめている。

USAFIK, United States Army Military Government in Korea, South Korea Interim Government Activities, no.23, August 1947, prepared by National Economic Board and Statistical Research Division, Office of Administration, p.7



1947.09.02 鬱陵島の沿革 石宙明 ソウル新聞

鬱陵島の沿革石宙明ソウル新聞 1947.9.2 

 朝鮮を代表する島の一つである鬱陵島が我が朝鮮国の属島であったことは疑う余地がなく、かつては于山国として知られ、済州島が耽羅国として知られていたのと対照をなす。
 この于山国は、その後、羽陵島、武陵島、蔚陵島、鬱陵島等と呼ばれて来たが、全て○○を言ったもののようだ。李朝成宗2年(1471年)には臣朴元宗一行がこの島から大竹と大鰒魚を持ち帰って来たことがあったが、この大竹の名産地だとして、この鬱陵島は竹島としても知られるようになった。
 しかし、現在は鬱陵島に統一されており、竹島という名は東部の一属島名として指定され、この竹島が従来我が朝鮮の東端地点を示して来た。

makoto氏ならびにChaamie氏の調査@Dokdo or takeshima



1947.08.?? U.S. Army Military Government - South Korea: Interim Government Activities, No.1, August 1947




 18 Representatives of the Fisheries Bureau and Korea History and Geography Association left for Ulleung-do and Tok-to on 16August. The letter, two small islands about 40 miles southeast of Ullueng-do, is and excellent base for extend fishing operation.
    •  漁場局と協会が残した歴史と地理学がUlleungする韓国のうち18代表、そして、Tok- 8月16日にに。手紙、Ulluengの40マイルの南東について2小さい島-、そして、素晴らしい、基づいてください、なぜならば、釣り活動を延長してください。

 Formally belonging to Japan, a recent occupation directive which draw and arbitrary line demaroating Japanese and Korean
fishing waters placed Tok-to witin the Korean ?one. Final disposition of the islands's jurisdition awaits the peace treaty
    •  日本に正式に属しています、絵を描く最近の占領指令と日本と韓国の釣り海をdemaroatingしている任意の線は、Tokを置きました- witinに韓国人に?人。島のjurisditionの最終的な配列は、平和条約を待ちます


1947.09.16 SCAPIN1778  日本政府に対し、竹島を爆撃施設に指定


GENERAL HEADQUARTERSSUPREME COMMANDER FOR THE ALLIED POWERSAPO 50016 September 1947AG 684(16 Sept 47)GC-TNG(SCAPIN 1778)MEMORANDUM FOR : JAPANESE GOVERNMENTTHROUGH: Central Liaison Office, TokyoSUBJECT : Liancourt Rocks Bombing Range 1. The islands of Liancourt Rocks (or Takes Shima), located 37° 15’ north, 131° 50’ east, are designated as a bombing range. 2. The inhabitants of Oki-Retto (Oki-Gunto) and the inhabitants of all the ports on the west coast of Honshu north to the 38th parallel, north latitude will be notified prior to each actual use of this range. This information will be disseminated through Military Government units to local Japanese civil authorities. FOR THE SUPREME COMMANDER : R.M. LEVY,Colonel, AGD,Adjutant, General.
Rescinded by
SCAPIN2160,
6 July 51


1947.09.23. 日本外務省、"Minor Islands Adjacent to Japan ,Part Ⅳを提出

(1946の説もあり)



1947.10.19

 Memorandum by the Director of the Policy Planning Staff (kennan)
    •  Policy Planning Staff(kennan)のディレクターによるメモ

 Results of Planning Staff Study of Questions Involved in the Japanese peace settlement
    • 日本の平和和解のQuestions InvolvedのPlanning Staff Studyの結果
(United States Department of State / Foreign relations of the United States, 1947. The Far East (1947)P537
    •  アメリカ合衆国(1947)の(アメリカ合衆国国務省/外交関係。極東(1947)P537
4Territory The final status for which we should press, with respect to the territorial limits of Japan, would be that shown on the attached map (Appendix A), Under this arrangement:
    • 4Territory、我々が圧迫しなければならない最終的な地位は、日本の領土の範囲に関して、取付けられた地図(付録A)の上でとても示されます。そして、Underがこの取り決めです:


1947年11月 ホン・グピョ「無人独島探査を終えて」

『建国公論?』 3―5(1947年11月)



  • 最終更新:2012-10-15 20:24:34

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