独島妄言 1951年4 COM



1951.08.02.  Request fromYOU CHAN YANG Korea to Acheson
                                                           KOREAN EMBASSY 
WASHINGTON,D.C.


August 2, 1951
Your Excellency,
I have the honor to refer Your Excellency to my communication to you for Jury 19, 1951 with reference to requests by the Korean Government for the consideration of the Department of State of certain suggestions in connection with the revised draft of the Japanese Peace Treaty.
Further instructions from my Government enable me to convey to Your Excellency the following suggestions with respect to the revised Treaty, looking towards their incorporation in the document:
1.Article 4: Japan renounces property of Japan and its nationals against Korea and its nationals on or before August nine, Nineteen hundred Forty-One.
Article 9: The MacArthur Line shall remain until such agreements be concluded.
Article 21: And Korea to the benefits of Articles 2,9,12, and 15-a of present Treaty.
Please accept, Excellency, the renewed assurances of my highest consideration.
YOU CHAN YANG
His Excellency
Dean G. Acheson
Secratary of State
Washington D C
1951.08.03 Boggs's memo

Office Memorandam UNITED STATES GOVERNMENT

DATE: August 3, 1951

TO: S-Mr. Allison
FROM: Mr. FeareySUBJECT: Islands

In his attached memorandum, Mr. Boggs states that although he has "tried all resources in Washington" he has been unable to identify Dokdo and Parangdo, mentioned in the Korean Embassy's note. On re-ceiving Boggs's memo. I asked the Korean desk to find out whether anyone in the Korean Embassy officer had told him they believed Dokdo was near Ullengdo, or Takeshima Rock, and suspected that Parangdo was too. Apparently that is all Korean short of a cable to Muccio.

As regards the French desire to change "Spratly Island" to the "Spratly Islands", Boggs now says that the plural is probably better though he has always previously supported the singular. Spratly is definitely a group of islands, not just one island.


1951.08.04 「日本国との平和条約草案の解説」が公表される。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/bunsho/h18.html#7
7月12日に公表された平和条約草案に基づいて外務省が作成したもので、国会議員に配布されるとともに、8月4日、報道機関に公表されました。

前書き
終 戦からすでに満六年・・・・(省略))・・・・・去る七月十二日、米英両国政府から公式に対日平和条約草案が発表され、さらに二十日には、米国務省から中 国を除く関係50カ国に対して九月四日にサンフランシスコで開かれる対日平和条約の招請状が発せられ、また会議に提出される最終草案は八月十三日に発表さ れる旨明らかにされた。...(省略)
とりあえず、七月二十日発表された草案(七月二十日にに若干の変更があった)について一応の文理的解説を試みることにする

(中略)

三、領域(第二章第二一四条)
日本は,すでに幸福の際、日本の領域が本州、北海道、九州及び四国のほか、連合国の決定する「諸小島」も局限される事を認めた。この章はその範囲をさらに明確にしたものである。
第二条で、日本が全ての権利、権原及び請求権を放棄しなければならない地域について述べる。この地域は六つにわけれれて居る。(A)から(c)までの朝鮮、台湾及び澎湖諸島、千島及び南樺太は、これまで日本の領土の一部であつたところである。 (省略)
 第一のこれまでの日本の領土の一部であったうち、朝鮮については、その独立を承認することになつている。
それ以外の地域については、日本は、その権利、権限及び請求権をほうきするだけであつて、権利放棄後の帰属については言及されていない。
なお、朝鮮の範囲は、済州島、巨文島及び鬱陵島がふくまれることになつているが、これらは終戦前も朝鮮総督府の行政管轄下にあつた島である。とあります。
(日本外交文書 サンフランシスコ平和条約・対米交渉 外務省編 P674)


(現在の竹島は、終戦前に朝鮮総督府の行政管轄下にあった島ではない。)



1951.08.10. Dean Ruskから韓国に対する回答。韓国の要求を拒否
(一 部抜粋)

With respect to request of the Korean Government that Article 2(a) of the draft be revised to provide that Japan "confirms that it renounced on August 9, 1945, all right, title and claim to Korea and the islands which were part of Korea prior to its annexation by Japan, including the islands Quelpart, Port Hamilton, Dagelet, Dokdo and Parangdo," the United States Government regrets that it is unable to concur in this proposed amendment. The United States Government does not feel that the Treaty should adopt the theory that Japan's acceptance of the Potsdam Declaration on August 9, 1945 constituted a formal or final renunciation of sovereignty by Japan over the areas dealt with in the Declaration. As regards the island of Dokdo, otherwise known as Takeshima or Liancourt Rocks, this normally uninhabited rock formation was according to our information never treated as part of Korea and, since about 1905, has been under the jurisdiction of the Oki Islands Branch Office of Shimane Prefecture of Japan. The island does not appear ever before to have been claimed by Korea. It is understood that the Korean Government's request that "Parangdo" be included among the islands named in the treaty as having been renounced by Japan has been withdrawn.



1951.08.13.Japanese Peace Conference. San Fransisco. Calfornia, September 1951 "Treaty of Peace with Japan " 1951/8/13 (USNARA/Doc No. N/A) (on file with autor)


1951.08.16 平和条約の最終案が確定し、宣言案とともに公表される。

平和条約案の公表(8/4)後、日本側は数度にわたって条文解釈に関する覚書を提出するなど、日米間において平和条約と日米安全保障条約の文言確定に向けた最終的な調整を行いました。その結果、8月16日には平和条約の最終案が確定し、宣言案とともに公表されました



1951.08末 「渉外関係綴」仮番1及び仮番2。 なお、この陳情は、「島根県領土竹島(レエインコート島)」を講和会議の関係調印国による最終確認に対して尽力するよう要望



島根県の総務課が所蔵する文書21に依れば、昭和26年4月末、隠地郡五箇所村の第三伊勢丸船長浜田正太郎が漁労中漂着して竹島に至り、韓国人が同島に居住し、漁業操業中であるのを目撃した。この話が島根県に伝わり、また、対日講和会議を控え、「島根所属問題についての疑はしい風説を究明」すべく、島根県は外務大臣宛陳情書を同年(*S26)八月末に行なった。22.これが戦後竹島に対して島根県が行政的に対処した端緒のようである。
また、9月1日には総務課長が外務省を訪問し、「外務省としては、本問題につき、何等疑をもつものではなく」との言質を取っている25






1951.08.30 「島根県領土竹島(レエインコート島)」の再確認について:島根県知事恒松安夫作:外務大臣吉田茂宛

22「渉外関係綴」仮番1及び仮番2。 なお、この陳情は、「島根県領土竹島(レエインコート島)」を講和会議の関係調印国による最終確認に対して尽力するよう要望したものである。


1951.09.01 総務課長が外務省を訪問し、「外務省としては、本問題につき、何等疑をもつものではなく」との言質を取っている25 http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-02/index.data/-07.pdf

1951.09.05. 「竹島の調査依頼について。」 総務部長名  隠岐支庁長 

県から隠岐支庁に対して「竹島の日本領として編入された経緯」など6点にわたる調査依頼



1951.09.08 (サンフランシス コ平和条約( 1951年9月8日署名、 1952年4月28日発効)

1951.09.14 竹島の調査以来に対する回答 総務部長 外務省政務局特別資料課川上健三事務官
(9/5依頼の回答)



1951.09.21 Yung Tai PYUN 韓国外務大臣からMuccio宛の書簡


発:Ministry of Foreign Affairs SEOUL Yung Tai PYUN
宛: Ambassador Muccio,


1951.10.03. ROK Foreign Minister, Pyun Yung -tai, concerning the Korean claim to Dokdo
発 The U.S. Embassy in Korea
宛 the State Department
内容:ROK Foreign Minister, Pyun Yung -tai, concerning the Korean claim to Dokdo
The U.S. Embassy in Korea cables a copy of a letter to the State Department from ROK Foreign Minister, Pyun Yung -tai, concerning the Korean claim to Dokdo. In the letter, Pyun based Korea´s claim largely on the basis of SCAPIN #677 of January 29, 1946. He also stated that Korea has "substantial documented evidence" of its claim. In the memo that accompanied Pyun´s letter, the Embassy told the Department that they believed that the Koreans "did not possess a compilation of such ´evidence´ at this time" and that "it appears doubtful that such information will be forthcoming.


1951年10月3日付で駐韓米国大使館が米国国務省に送った書簡
「独島に対する主張についての韓国外務部の書簡の伝達」にこう書いてあります。
今紹介した9月21日付卞栄泰外務部長官の駐韓米国大使宛書簡には、「韓国がかの島(竹島のことです。)を数百年にわたって領有してきたことを証明する確実な証拠記録がある」とあるが、「韓国外務部は口頭説明で、韓国は現時点ではそのような証拠をまとめたものを持っていないと暗に認めた。韓国の証拠提出が行われることは疑わしい」
というのです。
日韓会談と竹島問題 藤井 賢二氏@平成21年度「竹島問題を学ぶ会」



1951.10.20  日韓予備会談始まる

1951.10.22 第012回国会 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第6号

○山本(利)委員 一体條約というものは、最後に條文となつて現われるときには まことに簡單なものでありますけれども、この條約案をつくる にあたつてのいろいろの根底をなす折衝なりその他の点については、実に厖大なものであると考えておりましたので、私はさような、今後日本が生きて行く上の 根本問題と考える人口問題、あるいはその一翼としての移民問題等について、詳しく御調査があり、さらに計画があつて、いろいろ今日までにも連合国の了解を 求められておるべきであると考えたから、さような質問をいたしたのでありますが、この点については、今後日本国民の重大な問題でありますから、逐次立案さ れまして発表せられるように希望いたしまして、この問題は終ります。
 さらに第三條に関連してごく具体的な問題でありますが、今回われわれが参考資料としていただきました「日本領域参考図」を拝見いたしますと、ちようど日 本海を通つておりますこの日本の領域を表わします線が、竹島の真上を通つておるのであります欝陵島は朝鮮にあるいは属するものとしても、竹島は元来島根県 の管轄下にありまして、重大なる漁匠をなしておつたのであります。この竹島が、この地図で見ますと、われわれの領土なのか、あるいは欝陵島に付属して朝鮮 等へ移されるものか。これらの点について、島根県民はもちろんこれは日本の領土となつたと解釈して場おるのでありますが、この際はつきり御説明を願いたい と思います。
○草葉政府委員 現在の占領下の行政区画には竹島は除かれておりまするが、今度の平和條約におきましては、竹島は日本に入つて来ると申しますか、日本領土であるということをはつきり確認された ものと存じます。
○山本(利)委員 ただいまのお答えを聞いて安心いたしましたが、さらにこういう重要なる委員会に 配付されます地図で、明瞭を欠いておると 考える点を申し上げたいのでありますが、今日まで再三問題となりました歯舞諸島等が、やはりこの地図では領域外になつておるのであります。千島であれ、あ るいは歯舞、色丹等は、当然地図に表わす場合には、わが領土として書き表わしておくということが、今後あらゆる場合に有利なのであつて、それをわが国の手 で作成した地図においてもこれを省かれておるというようなことは、まことに不注意千万であると考えるのでありますが、いかがなものでありますか。
○ 西村(熊)政府委員 御注意申し上げます。それはマツカーサー・ラ インでありまして、領土の境界ではございません。御質問は全部お取消し を願いたいと思うのであります。私どもの答弁も速記から取除いていただきたいと思います。そういう疑念を平和委員会で起したということそれ自身、私はおも しろくないと思いますので、お願いいたす次第でございます。
○山本(利)委員 ただいまの西村條約局長のお話を聞いて、私はまこと に心外なのであります。この地図を見る者、あるいはこれを受取つた 者、これがマツカーサー・ラインであろうというようなことも一応は承知するのでありますけれども、マツカーサー・ラインを示すものということが何ら明示し てないのであります。日本領域参考図として配付されたものであります。ただいまの点についての御非難はお取消しを願いたいと思います。
○草 葉政府委員 これはごらんの通り漁船操業許可区域でございます。多分黒い線で引いておる点を山本委員はおつしやつておられると思います が、ここにありますように、漁船操業許可区域としてこの点線を引いておるので、全体といたしましては千島列島として示しておるだけであります。御承知おき を願います。
    〔「それが誤解を生ずるのだ、資料を訂正せよ」と呼ぶ者あり〕
○西村(熊)政府委員 資料の誤りはありません。あれば訂正 いたします。
○田中委員長 山本君、発言を御継続願います。


19511.11.14 竹島取材
11月23日の朝日新聞朝刊に掲載された海驢の報告
日本へ還る無人の「竹島」 奇怪な海驢の群

一 木一草もないXXで、とりつくしシマもない。このあたりの岩礁は初夏のころにはアシカが群棲し、??になることで世界的にも有名な場所である。 西シマに 進むと、黒い二メートルもあるアシカがズボっと、波間に現れ、弓なりに体をそらせるとふたたび海中にもぐり込んでいく。水門のようにそそりたつ??岩から 西シマの北側にかけて、次第にアシカの姿が増えていく。ウォッツウトッツというなき声が、この島のフンイキの中では薄ら??くまた気味悪い。5,60頭は居るようだ。

有峰書店新社 寺尾宗冬師氏のページ http://arimine.com/reprint02_ex02.html




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  • 最終更新:2012-10-15 19:06:02

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