私見 竹島問題(4)

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 自虐史観の枷を解く ―――――――――― by gosakuさん
☆ 私見:竹島問題(4) ―――――――――――――― 2004/09/24

現在の韓国の歴史教科書では、安龍福の証言をまとめた供述調書の内容を歴史
の事実としていますが、当時の朝鮮政府は彼の証言には懐疑的でした。

「日本の漁船を追って隠岐島に漂着した」とする安龍福の供述に、朝鮮政府の
取調官、柳尚運は「鳥取藩では、訴訟事件を起こした者を対馬藩には送らず、
直ちにその場から送り出した。これは(よくよく)事実関係を究明しなければな
らない。
安龍福が陳述した鳥取藩での彼の行動も、尽く(ことごとく)は信ずる事はでき
ない。安龍福のことは、いま対馬に渡っている訳官の帰国を待って実状を把握
した後で処断するのがよい」

このように、当初、朝鮮政府は安龍福の供述を事実とは認めず、確認を急ぐべ
きであるとする慎重論が大勢を占めていました。ところが当時朝鮮政府は「南
人派」が政権を掌握していましたが、その後政権争いに敗れ「少論派」に交代
すると、この事件をめぐる情勢は大きく変化することになりました。

はじめの安龍福の証言に対する解釈に微妙な影響が出始め、安龍福を処罰すべ
きではない、という慎重論が「法に則って龍福を死罪に」という「遵法派」を
押さえ、やがては「国家ができなかったことを龍福が実現し、その功罪分かち
難い、断ずるに一罪をもってすべきではない」という方向へと傾いていったの
です。

南人派が政権をとっていた頃の安龍福は、国禁を犯して欝陵島に渡った重罪人
であり、少論派が政権を掌握した以後でも、その処遇をめぐって「情実派」と
「遵法派」とに分かれて争ったことは「粛宗実録」にも記録されています。
江戸幕府が欝陵島への渡航を禁じたのは、対馬藩が幕府に働きかけた結果だと
する、対馬に渡った二人の訳官の報告も残っています。

にも係わらず李孟休は、「欝陵島争界」にそういった経緯を一切記録していま
せん。記録しているのは「此れ亦日本の意にあらず、ただ馬島倭、詐を聘す」
という、「対馬藩の陰謀」であり、その陰謀を暴いた安龍福に対する評価だけ
なのです。
結局、李孟休は「対馬藩の陰謀」と、それを暴いた「安龍福の功」という歴史
認識に基づいて初めから欝陵島問題を見、その認識に合わない記録は捨ててし
まっていたのです。

「国家のために強敵に抗して奸萌をそ折り、累世の争いを息めて一州の土を復
す」と絶賛し、安龍福の証言に絶対的は信頼を置いて彼を「英雄」としたので
す。ここでは、史料としてよりも歴史認識が優先されています。
この「欝陵島争界」は後に、1770年に成立した「東國文献備考」にも引用
され、その歴史認識の増幅に一役買っています。

先にも述べましたが、1952年1月18日に、突如韓国政府によって宣言さ
れた「李承晩ライン」によって竹島は韓国の領土とされた、と申しましたが、
この「李ライン」宣言の背景には、戦前から圧倒的に優位だった日本の漁業が
戦後も朝鮮半島近海で行われれば、当然、衝突がおこるという韓国側の抱いた
危惧がありました。
つまり、日本側との摩擦を回避しようという意図がこめられていたのです。

「李ライン」は公海上に設定されていたため、戦後の日韓関係を憎悪と不信に
駆り立てる導火線となります。1952年2月15日から始まった日韓の国交
正常化交渉の最中にも、韓国は「李ライン」に依拠して日本漁船を領海侵犯の
容疑で拿捕し続け、交渉に重大な影響をあたえることになります。

この「李ライン」については、宣言の直後から、アメリカ・イギリス・中華民
国等からも違法性が指摘されていました。後に、アメリカのハーター国務長官
は「韓国が日本漁船を公海で捕獲し、船を押収、漁夫に体刑を課していること
が日韓関係を著しく悪化させている」として韓国政府の措置に憂慮を示してい
ます。

こうして日韓国交正常化交渉の直前、韓国政府は歴史的権原を明らかにしない
まま「李承晩ライン」を宣言し、竹島の領有権を主張しました。この「李承晩
ライン」と「竹島問題」は、国交正常化交渉で韓国側を有利に導く外交カード
として使われることになります。

第一次日韓会談はなんら進展がないまま4月15日に終了し、第二次日韓会談
が同年4月24日に始められました。

5月6日の「漁業問題委員会」では、「李承晩ライン」問題には深く立ち入ら
ずに話し合いがもたれましたが難航しました。ーーそれより先の2月27日、
韓国政府が独島(竹島)の領有権に関する声明を発表し、日本側を刺激したこと
が影響したのです。

この声明を受けた日本政府は、6月27日に巡視船「くずりゅう」「のしろ」
を竹島に接近させ「島根県穏地郡五箇所村竹島」の標識を竹島に立てるなどの
行動にでました。これに対して韓国政府は7月、外務部長の卜榮泰が「独島は
日本による韓国侵略の最初の犠牲に地」として、「日本が独島を奪おうとする
のは、韓国を再侵略することを意味する」という強い調子の声明を発表しまし
た。
こうして、日本の竹島領有権主張は、日本の軍国主義の復活や帝国主義的性格
を指摘する格好の標的になってしまったのです。

その後、韓国の国会は、竹島に「独島警備隊」を派遣することを決議し、7月
12日には、独島の警備についていた民間人の「独島守備隊」が、日本の海上
保安庁の船舶に発砲するという事件まで起こしました。

それ以来、韓国側の対応は次第に先鋭化し、9月8日には「李ライン」内から
の日本魚船の退去を命じ、日本漁船の拿捕を強行し始めました。日本の世論は
熱くなり、日韓関係は冷却化していきました。

竹島問題で日本の再侵略が叫ばれていた10月15日に、日本の久保田貫一郎
主席代表が「日本の朝鮮統治は朝鮮人にも恩恵を与えた」という趣旨の発言を
行い、この久保田発言が、過去を反省しない「暴言」とされ、第三次日韓会談
は決裂します。

一方、韓国側による日本漁船の拿捕と漁船船員の抑留は続いていました。

日本政府は、韓国政府に漁民と漁船の返還を求めましたが、韓国側は久保田発
言の撤回と謝罪を要求し、後に「久保田発言」が韓国側の交渉の切り札になっ
ていきます。

「李ライン」によって韓国側に拿捕された日本漁船は合計233隻。

抑留された漁船員2791人、死亡した漁船員5名。沈没船3隻、返還されな
い船173隻に及びました。このため日本政府は、当面の課題を抑留漁船員の
釈放と「日韓漁業協定」の締結、安全操業ルールの確立におきましたが、韓国
政府は久保田発言の撤回を求め、撤回しなければ会談に臨まないという強硬な
姿勢をとり続けました。
ーー会談再開の条件は、発言の撤回と公式な謝罪でした。

1954年に入って日本政府は、久保田発言撤回の動きを見せましたが、韓国
側はそれだけでは満足しませんでした。曹成煥外務次官は日本政府に「李承晩
ライン」を認め、尚且つ朝鮮半島に残してきた日本人の財産請求権を放棄せよ
と迫ってきました。

日韓会談は初め、日韓の関係修復を目的に出発したはずでしたが、それが何時
の間にか交渉の本筋を外れ、日本の過去を糾弾する場になってしまい「李ライ
ン」を根拠に拿捕した漁船員を人質に、国交正常化交渉が進められたのです。

1954年6月11日、韓国政府は独島に海岸警備隊を派遣し、8月10日に
無人灯台に点灯すると、9月15日には独島を図案にした切手3種を発行しま
す。独島が韓国領であることを内外に示し、実効支配を確実にするのが狙いで
す。
8月30日、日本は韓国に抗議しましたが、9月2日、ついに韓国政府は竹島
の武力占拠を決定しました。日本は、9月25日、竹島問題に関して国際司法
裁判所に提訴するよう韓国政府に提案しましたが、10月28日、韓国政府に
拒否されました。

日韓の国交正常化交渉は、その後十年余をかけて行われ、1965年6月22
日「日韓基本条約」の締結で両国の間に国交が樹立されました。
ーー日本側は結局、財産請求権を放棄しました。

日韓を熾烈な対立に追いやった「李ライン」は、この「日韓基本条約」の締結
で消滅し、あとには、竹島問題を棚上げにして締結された「日韓漁業協定」と
しこりだけが残る結果となりました。

そして、国交正常化交渉を通じて韓国側に浸透していったのは、竹島は日本に
よる朝鮮再侵略の「最初の犠牲の地」という認識だったのです。

                          =この稿つづく=
















┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┃┃ メールマガジン読後感アンケート結果。
┗━┛
◇ このとおりだと思う --------------------------------- 16人 (43%)
◇ そうではないと思う --------------------------------- 1人 ( 3%)
◇ どちらともいえない --------------------------------- 2人 ( 5%)
◇ 知らなかった。そうだったのか~ --------------------- 18人 (49%)

┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┃┃ コメントボードに頂きましたご意見。
┗━┛
┌──────────「ミカの赤い服さん」

gosakuさん、こんにちは。 「知らなかった」に投票しました。
◆今回の竹島問題を拝読していると、韓国の主張する『歴史認識』は、自分に
都合がいいもののようですね。

◆韓国との竹島問題、中国大陸政府との『南京など虐殺問題』ロシアとの北方
領土問題などは、国際司法裁判所でシロクロを付けられないのでしょうか?
…なんで、日本政府はしないのでしょう??ーー証拠も揃っているようなので
日本が負けることはなさそうですのに。

◆『権原』という言葉を知りませんでした。
gosakuさんの記事は文章が少し難しいですが、いい勉強になっています。

└──────────
┌──────────「gosakuさんから」

いつもコメント有り難うございます。故意に小難しい言葉を使っているわけで
はありませんが、内容に相応しい語句というと、文のセンスのない僕にはこの
ようになってしまいます。反省してます!!、
      • -実は、己の“バカ”をカバーするために難解な言辞を使っているのです。

竹島問題が再燃したのは、96年の衆議選の折に、自民党がまとめた選挙公約
によってでした。
自民党は、96年9月30日にまとめた選挙公約の中で、北方領土の他に尖閣
諸島と竹島に初めて触れ、「わが国の固有の領土である」と明記した上で「中
国や韓国との関係を損なうことのないよう対応し、平和的解決に向けて努力す
る」としました。

それに対して韓国外務省は「公約内容を受け入れる事は出来ない」とし、竹島
領有権について「国際法上も、歴史的にも韓国固有の領土である」と主張しま
した。そして、96年10月になると、韓国政府は竹島に埠頭を建設し始めま
す。韓国からその工事を請け負った三協開発が、10月17日に、建設に用い
るケーソン(潜函)を現地に移す作業を開始したと発表することによって、それ
が分りました。

日本固有の領土である竹島に、韓国が勝手に建設をはじめた埠頭は、長さ80
メートルもあり、これが完成すれば500トン級の船舶が接岸可能だといいま
す。

これに対して日本外務省としては、加藤良三外務省アジア局長が、10月31
日に、金竜圭韓国公使を外務省に呼び、竹島は日本の領土であるとの立場を伝
えましたが、そのようなことで韓国の方針が変わるはずもなく、実際、韓国外
務省は「独島は韓国固有の領土であり、工事は当然の主権行使」と反論をし、
工事はそのまま続行されたわけです。

日本は国際裁判所の判断を求めようとしていますが、韓国が応じないので裁判
になりません。しかしこれは、韓国が竹島を固有の領土として国際的に主張し
うる根拠をもっていないことを自ら告白しているに等しいといえるでしょう。

└──────────
┌──────────「おっさんさん」

毎回、ありがとう! (^o^)丿

└──────────
┌──────────「gosakuさんから」

いやー!ホッとします。
「おっさんさん」にそのように言われると(^o^)丿です!
勝手に吼えているだけです。(お陰様で..口だけはまだ達者ですから)

いつまで続くか分りませんが、老骨に鞭をいれてヨタヨタふらふら書いてゆき
ます。ご愛読感謝です。

└──────────
┌──────────「lonesome carboyさん」

毎号、知らなかった事実を知り非常に勉強になります。

このような史実を以って我国の正当性を内外に広く示す手段は無いものでしょ
うかね。
政治家は他国の顔色ばかり伺い、腐敗臭のするマスメディアは論外ですし。

我が国の漁船が、日本領海内で操業中に韓国の貨物船に体当たりされる事故が
相次いでいますが、マスメディアの取り上げ方が非常に小さい(か殆ど無視)。
ヨン様ブームだかなんだか知りませんが、韓国が悪いイメージになるニュース
(事実であっても)は極力報道しないようにしているようですね。
かたや、被害にあった同胞が死亡しているといのに、、、。

ーー見えざる世論コントロールが恐ろしくなります。

└──────────
┌──────────「gosakuさんから」

韓流も結構ですが!日本の主権が犯されている竹島問題を、マスコミは何故採
り上げないのでしょうね?

韓国は、今年に入って、竹島の自然をあしらった切手を発行しています。

川口順子外相は、趙世衡・在日韓国大使を外務省に呼び「竹島はわが国固有の
領土だ。容認できない」と抗議しました。
北朝鮮も「南北が一つになって独島を守るとのメッセージを歴史に残したい」
として竹島の切手を発行しました。

これに対し、日本の殿岡昭郎、元東京学芸大助教授らが竹島の風景をあしらっ
た切手の発行を郵政公社に申し入れたところ、「外交上、問題がある」として
拒否されました。
その後、自民党有志議員でつくる「国家基本政策協議会(森岡正宏会長)」が、
竹島・尖閣諸島・北方領土をデザインした三種類の写真付切手の発行を申請し
ましたが、郵政公社は同じ理由で拒否しました。

郵政公社は「総務省(監督官庁)と外務省に相談した」といっています。総務省
の山口俊一副大臣は「政治的アピール性の強いものはおかしい」といい、川口
外相も、閣議後の会見で「両国の国民感情が煽られるような形になることは好
ましくない」述べました。

しかし、「竹島は日本固有の領土」というのは国の主張であり、特定の政治的
アピールではありませんよね?川口外相の発言も、日本国民の感情を重視して
いません。韓国との摩擦を恐れた"事なかれ主義"外交といわざるを得ません。

最近まで、日本の外務省のホームページには、竹島の領有権について日韓双方
の主張が並列的に記述され、どこの国のホームページか分らないような内容で
した。それを国会で指摘され、川口外相は記述を修正すると答えていました。
まさに外務省の主権意識の希薄さを物語っています。

竹島についても、日本固有の領土であることを繰り返し国際社会に訴えていか
なければ、このまま永久に韓国に奪われてしまうことになりかねません。

└──────────
┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┃┃ お便りで頂きましたご意見。
┗━┛
┌──────────「mugaikojiさん」

久しく自虐史観を見ていなかったのですが、竹島の記述を遡って読んでみまし
た。知らないことが多かったのですが、よくここまで資料をを集められたもの
と敬服いたします。

さて、25年前の現役時代「(日本が)経済大国にのし上がった起源は何か」と
韓国労働省から派遣された者の一人が私に尋ねましたので、それは古来からの
日本の教育の成果であると答えたのですが、彼は浮かぬ顔で「朝鮮戦争による
特需ではないか」と言い、「韓国の犠牲の下で日本は成長した」とのたまった
のです。
そのとき、彼らの歪(いびつ)な視点が凡そどこにあるかが分かった次第です。

それで私は、資料があったわけではありませんが
「平安時代から、文学を基調として、俳句なども庶民に裾野を広げ始め、士農
工商にわたり、日本人は文化に対する思考力や物を作る力の重要性を、認識し
ていた。
それらはすべて親子関係・師弟関係に根ざしており、社会全体がそれを認識し
ていたこと、それが明治時代に西洋文化に刺激され花開き、近代日本人が改め
て教育の価値を認識し、教育課程を構造的に形成し、今日の経済成長を齎した
(もたらした)のであって、朝鮮戦争は単に成長をアクセルしたに過ぎない。

時間がずれるかもしれないが、経済大国になるのは時間の問題であった。朝鮮
半島で、日本統治時代、朝鮮民族も同等な教育を確立したのは、朝鮮総督府で
あった。京城帝国大学はその証である。戦後活躍した人の中に高等教育を受け
た人がずいぶんいたので、さほどの混乱もなく建国できたと私は思う」

と答えましたが、洗脳された彼らは、何時までも韓国の犠牲による日本の発展
と思っているようでした。

10年後、派遣された者達の一人から促され韓国訪問をしましたが、彼は会い
たくないとのことでした。
彼は、もう幹部になっているでしょうが、彼らの、真実を知ろうとしない態度
で青少年の教育に携わり、その教育を受け成長している人達が多数派なのだと
思うとやりきれないし、哀れとすら感じます。

└──────────
┌──────────「gosakuさんから」

mugaikojiさん、お久しぶりです!

「日帝の植民地支配は、人類史上最悪の搾取」だったと、そして「現在の日本
の繁栄の基礎は韓国人の犠牲の上に成り立っている」と、韓国人は言います。

これに対して僕はいつも「あなたは世界中すべての植民地の歴史を熟知した後
も同じことが言えますか?」と詰め寄って、ベトナム・アフリカ・ラテンアメ
リカなどの国々について具体的に指摘します。

そこでの学校教育はこうだった、税金はこうだった、軍事予算はこうだったと
いうことを、韓国と比較しながら反問します。すると、植民地専門家以外の韓
国人は、たいてい答えに窮してシドロモドロになります。感情的な人は、答え
られないイライラから、テーブルを蹴って去ってしまうこともありました。

韓国の政治家や学者は、民族主義の育成に躍起となっており、「七奪」を含め
た「日帝三十六年」の植民地収奪を微に入り細に渡って宣伝しています。こと
に、一部の愛国主義的経済学者は、もっともらしく経済的構造から研究・分析
を行い、韓国が自主的・自律的近代化を達成したかの可能性を探っています。

そして、もし「日帝」時代の掠奪がなかったら、韓国はもっと早く素晴らしい
近代化を達成し、ひょっとしたら「G8」に入るだけでなく、世界の最先進国
になっていたかもしれない、などとうそぶいています。

しかし、常識人を納得させるような、「日帝」の収奪がなければ韓国が世界一
になれたかもしれないという分析も、何の意味もないことです。

所謂「日帝三十六年」が、朝鮮から奪ったものは何もありませんでした。

総督府時代を加えた四十年にわたる日本による半島経営の間に投入した資本・
技術・人力は、朝鮮の民力をはるかに超え、朝鮮人が自力では絶対に不可能で
あった近代化建設をもたらしたと断言できます。

朝鮮が「(中華帝国の)千年属国」から解放されることができたのは、西風東漸
西力東来という歴史条件と、列強の洋擾や倭擾、そして「日帝」があったから
こそでしょう。それらがなければ、朝鮮は中華帝国の属国から独立、自立でき
たでしょうか?ーー僕の答えは否です。

先の「ミートくんさん」の答復にも述べましたが、現在日本が世界で一、二の
経済大国を誇るのは「mugaikoji さん」のおっしゃる通り、「朝鮮戦争による
特需」は一つのきっかけにはなったかも知れませんが、成長過程のステップに
過ぎないでしょう。

つまるところ、先達からの教育重視の文化、優秀な人材資源と、それによって
日々作り出される世界に冠たる工業製品が今日の日本の経済繁栄の基礎になっ
ているのは世界中の万人の認めるところでしょう。

韓国人の根底にあるのは、儒教朱子学に基づく民族差別の意識でなのしょう。

儒教朱子学では、両班・中人・常民・賎民の四階級がある中で、日本人は最低
の賎民階級以下の奴隷階級に位置付けられていて、絶対的優越する韓国人が、
絶対的に劣位の日本人に支配されたという、儒教朱子学上、あってはならない
現実が起きてしまい、自らを許しがたいと慙愧反省しつつ、日本人はもっと許
し難いというジレンマが、反日となって噴出しているのです。

儒教的世界観を転覆させてしまった、自分らが刻んだ歴史の汚点が、如何にや
むを得ないものであるかの免罪を得るために、日本人による非道性・残虐性を
殊更に唱えて安らぎを得る心情が俗に韓国人の反日感情といわれるものです。

ですから、日本人が彼らに謝罪すればやり過ごせると思うのは、実に愚かなこ
とです。謝罪しても終わりがありません。いつ果てるかもしれない彼らの反日
感情は、日本人が儒教朱子学の序列秩序に黙って従うことを要求しているので
す。

└──────────
┌──────────「JUN 78 Tさん」男性@七十代@会社員@京都

中日両国は、根底では理解できる文化を持っていると思う。従来は同種同文の
国同士といわれた。古代は漢字伝来、仏教伝来 遣隋使 遣唐使 鑑真和上の
来日 空海 最澄の留学修行その他、色々交流があった。

しかし明治になって、日本は脱亜、入欧政策を採ったので交流は少なく、むし
ろ争いが多発した。日本の敗戦後は、交流が復活すると思われながらも、近年
は経高・政低と評されるように、貿易経済のつながりだけが発展し、文化的、
政治的な交流は少ない。
首相の靖国参拝問題、歴史教科書問題など、交流の障壁となるものが多い。

古代から、日本が中国から吸収してきたものを、文化交流の形で還元できない
ものかと思います。

└──────────
┌──────────「gosakuさんから」

僕の調べた範囲では、聖徳太子は、仏教を信奉する国同士として中国と対等に
付き合おうとしていました。遣隋使もその観点からの派遣でした。
つまり、中国側の「儒教主義」や「中華主義」は認めないという立場でした。

臣属・朝属・冊封と看為(みな)されるような行為を中国に対して行わないとい
う原則を確保し、そういう確乎たる姿勢を維持していました。それで近代まで
の千数百年間を、日本は中華世界からは全く別の世界で生きてきたのです。
ーーこれは、東アジアでは日本だけです。

しかし近代に入って、日本の、目覚しい欧米化と経済の発展とは裏腹に、植民
地化された他のアジア地域と同じように、中国は欧米列強により格好の餌食と
なっていきました。その後の経過は「JUN 78 Tさん」もご存知の通りです。

先般のサッカーの試合に象徴されるように、彼らの強烈な反日感情は、江沢民
が推進してきた反日・抗日政策の結果でしょう。小平時代までは、ソ連共産
党など、周囲に敵がいたために、日本人民も日本軍国主義の被害者なのだから
一般の人民とは友好的にしよう、という教育方針を中国は採っていました。

ところがそれ以降の世代は、教育のみならず、マスコミからの情報を含めて、
日本についての歪んだ認識を植え付けられいます。実際に戦時中のことを知っ
ている世代は、当時のことを思い出して感情的になることはあっても、今の世
代のように差別的に日本人を見ることはないようです。

今の世代は、生まれてからずっと日本人は悪者でしかないと教えられています
から、日本には遠慮がない。80年代は、映画を観れば、日本人はいつも中国
人の生皮を剥いでいました。中国人の俳優が扮する日本人が「ミシ、ミシ」と
いっているので何かと思ったら「飯、飯」だった。
ーー中国映画の中の日本人は、口を開けば「ミシ」と「クーニャン」でした。
▽▽
編集部注:クーニャン→姑娘=若い娘。

このような反日教育の積み重ねが、不幸にも今の日中交流の大きな壁になって
います。

└──────────
┌──────────「織さん」女性@十代@東京 2006/09/18

私は今卒論で「竹島問題」について調べているのですが、今の若い人って竹島
問題について知らな過ぎだと、私も思います。
私だって、そんな詳しくはないですが、ほんの少しは答えられますよ・・・・

もっと、竹島問題について知ってほしいと感じています。
ーーー生意気ですみません。失礼します。

└──────────
┌──────────「CHINACHIPS編集局より」

GOSAKUさんは脳内出血で倒れられ、現在、意識はやや戻ってきているとのこと
ですが、危険な状態からまだ脱しておりません。ご返事ができるかどうか定か
ではありませんが、いま暫くお待ちくださいますようお願いいたします。

└──────────
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。


自虐史観の枷を解くの目次に戻ります




  • 最終更新:2009-03-08 05:31:28

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード