繰り返される「竹島問題」での日本政府の弱腰姿勢

繰り返される「竹島問題」での日本政府の弱腰姿勢
 月刊中央ジャーナル7月号に「繰り返される『竹島問題』での日本政府の弱腰姿勢」という小論を書いてみました

 文部科学省は中学校の学習指導要領の解説書の改訂版で、「竹島が我が国固有の領土」であることを明記することを断念した。福田首相は断念した理由を記者団に聞かれ、「我が国の領土問題に、しっかりした考え方を持たないといけないのは当然。しかし、拉致や核問題を抱える対北朝鮮政策の上で、対韓関係を悪化させたくないという配慮から、結果として竹島に対して日本固有の領土という領有権をめぐる記述を見送る判断をした」と答えた。
 文部科学省は当初、竹島を「我が国固有の領土」と明記する方針だった。しかし、外務省や首相官邸と調整した結果、最終的には福田首相の判断に委ねられた訳だが、領土問題は日本の主権にかかわる問題である。その指導の在り方を示す解説書に外交的配慮を加えたことは、日本の公教育の将来に禍根を残すに違いない。
 韓国政府は日本政府の外交的配慮を無視するかのごとく、李明博大統領が「深い失望と遺憾」を表明し、外交当局に「断固として厳重な対応」を指示した。権哲賢駐日大使は外務省に薮中三十二事務次官を訪ね強く抗議し、韓国に一時帰国した。首都ソウルでは市民二百人以上が日本大使館前で徹夜の抗議行動を行い、一部参加者が日の丸を燃やしたり、卵を投げつける行為に及んだ。
 福田首相の「相手が嫌がることはしない」という外交戦略(姿勢)が全く通用しないことが証明された訳で、先の北海道洞爺湖サミットではロシアに対して北方領土問題を持ち出さず、東シナ海のガス田交渉では中国との間で領土・領海問題を曖昧にしてきたが、今回、「竹島が我が国固有の領土」の明記を断念したことは、「日本が領有権明記を見送った」という事実だけが残り、日本は自国の主張に自信がないと受け取れ兼ねない誤ったメッセージを送る結果となった。
 竹島問題の発端は昭和二十七年(一九五二年)四月のサンフランシスコ講和条約発効(講和条約締結は昭和二十六年九月)で日本が主権を回復する三カ月前の一月十八日、火事場泥棒のごとく、李承晩韓国大統領(当時)が海洋主権宣言「李承晩ライン」を一方的に公海上に引いたのがことの始まりである。この時、日本政府だけでなく米国、英国、中華民国も韓国の行為に対し抗議をしたが、韓国は聞く耳を持たなかった。
 韓国は昭和四十年(一九六五年)の日韓国交正常化までの十三年間に李承晩ラインを盾に日本の巡視船への発砲や、日本漁船三二八隻を拿捕し、三九二九人の日本人を抑留した。その過程で四十四人の日本人を死傷させ、今日まで不法占拠を続けている。過去二回、日本政府は竹島の領有権問題について国際司法裁判所に提訴するも、韓国は応じていない。
 過去何度も竹島問題は日韓関係の火種として浮上してきたが、そのたびに日本政府が韓国政府に妥協してきた。日本政府が竹島問題で妥協し続ける限り、日韓の間に横たわる「竹島というトゲ」を抜くことは出来ない。
 同じ領土問題でも英国のサッチャー元首相は一九八二年、南大西洋上の英領フォークランド諸島がアルゼンチン軍の侵攻を受け、占領されたとき、英国本土から一万三千キロも離れた同諸島(それこそ羊しか住んでいないような島)に、二隻の空母を含む百隻の艦船、兵二万五千を送って、領土を奪い返した。これは、領土の価値が面積の大小や資源の有無だけで決められるものではなく、国民の歴史的な思い入れにもかかわる問題であることを示している。かつ、奪われた場合には、速やかに奪い返すという政治のリーダーシップを改めて教えてくれた出来事でもある。
 韓国による竹島の不法占拠・侵略行為に対して、現在の日本が即座にイギリスのサッチャー元首相と同じ行動を取ることは現実的ではないが、韓国による不法占拠をいつまでも放置することが出来ない。日本政府は竹島問題解決に向けて韓国と対峙する勇気を持つべきである。



kazuhisa431014 at 10:26|Permalink │ 0拍手


TITLE:濱口和久の「国を憂い・国を想う」:竹島問題・日韓関係 - livedoor Blog(ブログ)
DATE:2009/01/25 20:06

  • 最終更新:2009-03-06 18:35:32

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