芹田健太郎『日本の領土』-2(読書録)

読書録537(2005.03.17)
芹田健太郎『日本の領土』(中公叢書、2002年)

島根県が昨日16日に「竹島の日」条例案を可決したのに対し、韓国が過激とも言える
ほど激しい反発を示しています。本書は以前にも読書録365でとりあげましたが、もう
一度竹島問題を整理しておきたいと思い、再読しました。著者紹介や本書の内容につ
いては読書録365を参照してください。
本書によれば、竹島(韓国名:独島)に関する韓国の主張は以下の三点にまとめるこ
とができます(148頁)。
(1)竹島は古くからの韓国領である。
(2)日本による1905年の領土編入は無効である。
(3)第二次大戦中のカイロ宣言から戦後の平和条約に及ぶ一連の措置から竹島が韓国領
であることが確認される。
芹田健太郎はそれぞれについて検証します。
まず(1)ですが、川上健『竹島の歴史地理学的研究』(1966年)、および、これを批判
的に検討した堀和生「1905年の竹島領土編入」(1986年12月)を検討します。そして
その結果、《今日の竹島が古くから韓国領土であったとする主張は必ずしも十分な歴
史的根拠をもつものではない》、《むしろ、歴史的には韓国の支配は今日の竹島には
一度も及んでいなかったと推察される》(152頁)と結論づけます。
[竹島の歴史問題に関しては、読書録538も参照]
(2)で、韓国の主張する点はさらに次のように分かれます。
(2-1) 日本の一方的国内措置は無主地に対する先占の行為であるが、竹島は無主地で
はなく韓国領であったので、無効である。
(2-2) 日本の領有意思の表明は島根県告示という形を取ったが、この告示は極めて秘
密裏に行われ、韓国政府に通告されなかったので無効である。
(2-3) 韓国政府は当時たとえこの事実を知っていたとしても1904年の日韓議定書、第
一次日韓協約によって日本政府に異議を唱える立場になかった。
(2-4) 日本による領土編入措置以後の行為は、日本政府による調査等の行為が韓国侵
略行為の一環として行われたので、国際法に基づく領域支配の継続した行為とは
 認められない。
これらに対する芹田健太郎の判断は次のようなものです(153-7頁)。
(2-1)は(1)で検討したように韓国領であるとは言えません。また日本は、竹島をめぐ
って韓国を含むいずれの国とも紛争を生じていませんでした。(2-2)については通告義
務はなく(「実効性」の方が大事)、また、告示は正式に公示された上、新聞報道も
行われているので「秘密裏」とは言えません。(2-3)については国際判例を分析する限
り、法的評価に意味をもつのは、韓国政府の抗議がなかったこと、そして、何よりも、
日本の領土編入以前に韓国が竹島に対して何らの実効ある措置もとっていなかったこ
とです。したがって(2-3)をもって「無効」というのは無理があります。(2-4)は竹島
が韓国領であったことが証明されない限り、理由にはなりません。
    
最後に、(3)です。韓国側は1946年マッカーサー・ラインが竹島を日本から分離したな
どと主張するのですが、敗戦後の日本の領土を確定したのは1952年4月28日に発効した
サンフランシスコ平和条約であり、ここでは日本が放棄した地域から竹島は除外され
ているため、韓国の主張はおかしいということになります。
  
さて、それでは日本の主張はどのようなものなのでしょうか。日本の主張は上記韓国
の主張に反論する形で次のようにまとめられています(http://tinyurl.com/2sgy5)。
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(1) 竹島領有に関する歴史的な事実
 以下のような歴史的事実に照らして、我が国は、遅くとも17世紀半ばには、実効的
支配に基づき竹島の領有権を確立していたと考えられ、1905年(明治38年)以降も、
閣議決定に基づいて近代国家として竹島を領有する意志を再確認した上で、同島を実
効的に支配してきた。
(イ) 日本は古くより竹島(当時の「松島」)を認知していた。このことは多くの文
献、地図等により明白である。
 (注:経緯線投影の刊行日本図として最も代表的な長久保赤水の「改正日本輿地(ヨ
チ)路程全図」(1779年)では現在の竹島を位置関係を正しく記載している。その他
にも明治に至るまで多数の資料あり。)
(ロ) 江戸時代の初期(1618年)、伯耆藩の大谷、村川両家が幕府から鬱陵島を拝領
して渡海免許を受け、毎年、同島に赴いて漁業を行い、アワビを幕府に献上していた
が、竹島は鬱陵島渡航への寄港地、漁労地として利用されていた。また、遅くとも16
61年には、両家は幕府から竹島を拝領していた。
(ハ) 1696年、鬱陵島周辺の漁業を巡る日韓間の交渉の結果、幕府は鬱陵島への渡航
を禁じたが(「竹島一件」)、竹島への渡航は禁じなかった。
(ニ) 日本は1905年(明治38年)、1月の閣議決定に続き、2月の島根県告示により竹
島を島根県に編入し、竹島を領有する意思を再確認している。その後、竹島は官有地
台帳に掲載され、また、竹島でのアシカ漁は許可制となり、第二次大戦によって1941
年(昭和16年)に中止されるまで続けられていた。
(2) 1905年の日本政府による竹島編入の有効性
 1905年(明治38年)の、閣議決定及び島根県告示による竹島の島根県への編入措置
は、日本政府が近代国家として竹島を領有する意志を再確認したものであり、それ以
前に、日本が竹島を領有していなかったこと、ましてや他国が竹島を領有していたこ
とを示すものではなく、また、当時、新聞にも掲載され、秘密裡に行われたものでは
ないなど、有効に実施されたものである。
 (注:領土編入措置を外国政府に通告することは国際法上の義務ではない。)

(3) 日本占領及び戦後処理のための諸文書の中での竹島の扱い
 対日平和条約前の一連の措置(1946年1月29日付連合軍総司令部覚書第677号が、日
本が竹島に対して政治上又は行政上の権力を行使すること及び行使しようと企てるこ
とを暫定的に停止したこと、及び、1946年6月22日付連合軍総司令部覚書第1033号が、
日本漁船の操業区域を規定したマッカーサーラインの設置にあたり、竹島をその線の
外においたこと)に関する文書は、いずれもその文書の中で日本国領土帰属の最終的
決定に関するものではないことを明記しており、竹島を日本の領土から除外したもの
ではないことは明白である。また、もとより我が国固有の領土である竹島は、1943年
のカイロ宣言にある「日本は、暴力及び貪欲により略取したる他の一切の地域より駆
逐せらるべし」の「暴力及び貧欲により略取した」地域には当たらない。
 (注1:1951年のサンフランシスコ平和条約において、日本がその独立を承認し、すべ
ての権利、権原及び請求権を放棄した「朝鮮」に竹島が含まれていないことは、米国
記録公開文書等で明らかである。)
 (注2:1954年(昭和29年)9月、我が国は本件問題につき国際司法裁判所に提訴する
ことを提案したが、韓国側は右提案を拒否。なお、日韓両国間では国交正常化の際に
「紛争の解決に関する交換公文」を締結。)


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芹田健太郎もこの日本の主張を支持します。そして結論として、《両国の主張を検討
してきたところから考えれば、竹島が歴史的に韓国に属すべき正当な理由は見出し難
い》(164頁)ということになります。僕も日本政府や芹田健太郎の意見に同感です。
上記日本政府の見解にもありますが、日本は1954年9月12日、竹島問題を国際司法裁
判所で解決するよう提案しています。しかし韓国側は10月28日の覚書によりこれを拒
絶し、次のように主張しました。
《紛争を国際司法裁判所に付託しようとする日本政府の提案は司法的な装いとして虚
偽の主張をしている一つの企図に過ぎない。韓国は独島に対して初めから領土権を持
っており、その権利についての確認を国際司法裁判所に求めようとすることの理由を
認めることはできない。いかなる紛争もあり得ることがないにもかかわらず、類似的
な領土紛争を造作するのは日本である・・・・・・》(『本書』163頁)
韓国は竹島が自国の領土であることを固く信じ、日本との間に「領有権紛争」がある
とさえ考えていません。したがって、日本が竹島の領有権を主張するとそれは「妄言」
であり、「大韓民国解放の歴史を否定する第2の韓半島侵略行為」ということになるの
です。韓国がもうちょっと冷静になって聞く耳を持ってくれるといいのですが。
2005.03.17.


●関連読書録

【竹島関係】 http://tinyurl.com/3luzj



  • 最終更新:2010-08-29 15:33:49

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