通信使が驚いた日本(その11)国家機密

2009/02/08 06:45

 

「最も心を痛めたことは金鶴峯の『海槎録』、柳西厓の『懲毖録』、姜沆の『看羊録』などの書には両国の機密が多載されているのに、今その全てが大坂で梓行(出版)されていることである。これ、賊を探りながら賊に告げるのと何が異なろうか。国家の紀綱が厳ならず、館訳(釜山の倭館における通訳)の私的取引がかくの如くである。」


『海槎録』は秀吉の朝鮮侵攻の前の年(1591年)に来日して調査した金鶴峯が、秀吉の野心を読み取れず「日本は攻めて来ません」と朝鮮国王に報告した、言わば駄目リポートです。


『懲毖録』は秀吉の朝鮮侵攻当時に宰相をしていた柳西厓が戦乱の経過について、反省を込めてまとめた書物です。


『看羊録』は秀吉軍の捕虜として日本に連れてこられ、藤原惺窩に最新の朱子学を教えた姜沆(かんはん)が、帰国後に日本の内情を詳細に記した報告書です。


これらの機密本が、大坂の書店に並んでいたというのです。


国家機密に類する数々の書物が、大坂では堂々と売られていたというので、これを見た申維翰は朝鮮政府の機密管理が甘いと激怒しているのです。また、釜山の倭館にいる朝鮮人通訳が私的に対馬藩に書物を横流しし、それが大坂に流れてきているのではないかと嘆いています。朝鮮の官僚たちの腐敗堕落ぶりに、憤懣やるかたないとう感じですね。


大坂の書店の多くは、出版業と小売業の両方を兼ねており、江戸期には心斎橋筋が本の町として有名でした。江戸末期にはこの町に50件の書店が並んでいたというから驚きです。浄瑠璃本や浮世草子と並んで、日本の儒家の著書が数多く売られていたことが記録に残っています。朝鮮の本も今の洋書コーナーのような所に並んでいたのでしょうか。


印刷技術は朝鮮から伝わりますが、日本では独自の発展を遂げていました。

  • 最終更新:2009-02-10 16:14:44

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