金学俊『独島/竹島 韓国の論理』(読書録)

読書録663(2006.10.05)
金学俊『独島/竹島 韓国の論理』(論創社、2004年)

8月に韓国に行ってきたので韓国関係の本をとりあげています。

2006年7月8、9日に実施された読売新聞と韓国日報の日韓共同世論調査によると、日韓問題でもっとも関心があるのは竹島(独島)問題だそうです(日本59.0%、韓国88.0%)。竹島に関しては以前、読書録365、537、538で日本の論者の主張を紹介しました。今回は韓国側の主張を検討してみたいと思います。

・金学俊(キム・ハクジュン)
 1943年に中国瀋揚で生れ、仁川で初等、中等、高等学校を終えた。ソウル大学政治学学士、修士、アメリカのケント州立大学政治学修士、及びピッツバーグ大学政治学修士。ソウル大学教授、国会議員、大統領公報主席秘書官、壇国大学理事長、仁川大学総長、韓国政治学会会長、韓国教員団体総連合会長、韓国国家記録研究院長、などを歴任。バークリー大学、東京大学、ミュンヘン大学、ウィーン大学、ロンドン大学、ウッドローウォルソン国際研究所などで研究。1983年度、韓国政治学会学術賞受賞/受賞作:韓国政治論(ハンギルサ、1983)。現在、東亜日報社長。

▼本書の内容


《21世紀のパートナーシップ構築にむけて。日本海に浮かぶ孤島=竹島/独島をめ
ぐる日韓の領土問題を、双方の資料に基づいて歴史的・国際法的に考察する。》

 第1章 独島は日本の朝鮮強制占領の最初の犠牲地だった
 第2章 独島の地理と地形、及び生態
 第3章 独島は韓民族と共にあった―新羅時代から朝鮮中期まで
 第4章 安龍福が日本を相手に談判する
 第5章 日本の昔の文献に現われる独島
 第6章 大韓帝国政府、独島を石島という名で欝陵郡に編入する
 第7章 日帝政府、独島を島根県に「編入」する
 第8章 日帝が敗亡し、独島の原状が回復する
 第9章 日本が独島を「法的紛争」の対象にしようとする



▼感想


もともとが韓国人向けに書かれたものの日本語訳ということで、韓国で竹島(独島)
問題がどのように論じられているのかを肌で感じられる本です。表現が主観的に韓国
よりに偏っていたり(日本の主張は「妄言」「盲動」であり、韓国の反応は「当然」
であるなどと書いてある(15頁))、日本は昔から今まで韓国侵略の欲望を持ち続け
ているというようなことが書かれてあったり。日本人としてはげんなりしてしまいま
す。

でもまあそういった先入観的表現を我慢すれば、本書はちゃんと日本の主張も紹介し
た上で反論していて一読の価値はある内容となっています。金学俊はもちろん竹島
(独島)は韓国領だと結論づけます。そしてその根拠は芹田健太郎『日本の領土』
(読書録537)で示されたものと同じです。すなわち、

    • (1)竹島(独島)は古くからの韓国領である。
    • (2)日本による1905年の領土編入は無効である。
    • (3)第二次大戦中のカイロ宣言から戦後の平和条約に及ぶ一連の措置から竹島(独島)が韓国領であることが確認される。

というわけです。ひとつひとつ見ていきましょう。



(1) 竹島(独島)は古くからの韓国領である。


金学俊は(1)については、1145年『三国志記』、1451年『世宗実録』、1531年『新
増東国輿地勝覧』などの記述や地図を根拠に主張するのですが、どうもこれらの資料
からでは韓国が竹島(独島)を認識していたのかは定かではありません。

また「自ら交渉し鬱陵島と干山島が朝鮮領になった」「干山島は倭の松島(現在の竹
島)である」と証言した漁民安龍福の供述についても信憑性に疑いが残ります。本書
でも紹介されていますが、

    • (ア)安龍福が僭称した官職・鬱陵子山両島監税将は当時朝鮮になかった官職であるという事実
    • (イ)安龍福の談判相手だったという伯耆州太守は当時江戸に留まっていたという事実
    • (ウ)息子の救命を訴えたという対馬藩主の父宗義真は既に死亡していたという事実
    • (エ)松島(現在の竹島・独島)は無人島であるのに、「日本の漁民たちが私たちは本来松島に住む漁夫たちで、すぐ松島に帰る」と答えたと言っているという事実

など(91-2頁)を考えれば、彼の証言は疑われても仕方がないでしょう(安龍福証言
に対する疑義に関しては、下條正男『竹島は日韓どちらのものか』:読書録538も参
照)。これに関して金学俊は「王である粛宗が安龍福の功労を認めたという事実は、
彼の公述の真実性を朝鮮朝廷が最終的に受け入れたことを意味する」(93頁)と書い
ているのですが、朝鮮朝廷が受け入れたから真実だということにはならないのは明ら
かです。

以上から、竹島(独島)が古くから韓国領であるという確たる証拠は示されていない
と思います。



(2) 日本による1905年の領土編入は無効である。


次に(2)については、国史学者宗炳基の1990年の論文に基づいて以下のように主張
されています(146頁以下)。(ア)日本による領土編入が有効であるためには竹島
(独島)が無主地であるという前提が必要だが、竹島(独島)は韓国領であった、
(イ)日本による編入の事実は官報にも掲載されず、韓国にも通告はなかった。

ただここでの金学俊の議論は二つとも「竹島(独島)はもともと韓国領である」とい
うことが前提になっています。つまり、そもそも竹島(独島)が歴史的に韓国領であ
ることを明確に立証できないかぎり、ここでの(ア)も(イ)も成り立ちません
((イ)に関して、1898年南鳥島の編入も官報への掲載はないが外国により争われて
いない)。しかし上記(1)で論じたように、韓国領であったという事実は立証され
ていないように思われます。したがって1905年の編入は有効だと推定できます。

なお、日本側はここでは竹島(独島)に対する実効的占有あるいは実効的支配を問題
にすることが多いのですが、この点については本書の流れにそって後述します。



(3) 第二次大戦中のカイロ宣言から戦後の平和条約に及ぶ一連の措置から竹島(独島)が韓国領であることが確認される。


金学俊は、《戦後の日本の領土処理はカイロ宣言とポツダム宣言、及び降伏文書によ
って成立した。1951年9月8日に成立して、1952年4月28日に発効した連合国と日本の間
の平和条約(中略)はそういう既定事実を追って確認する。》(173-4頁)と述べてい
ます。すなわちカイロ宣言は「日本は、暴力及び貪欲によって奪取したその他の全て
の地域から駆逐される」と記し、ポツダム宣言は《日本の主権は本州と北海道と吸収、
及び四国、及び連合国の定める「小さな島々」に限ると規定》しており、さらに1946
年1月の連合軍総司令部覚書(SCAPIN)第六七七号と同年6月に設定されたマッカーサ
ー・ラインが竹島(独島)を事実上日本から除かれる地域として扱っているというの
です。

しかし、上記(2)で見たように、竹島(独島)がカイロ宣言で言うところの略取さ
れた地域であるかは疑問です。また、本書でも紹介されているように、SCAPIN第六七
七号は、この覚書は日本の領土帰属を最終的に決定するものでないと断っていること、
さらに対日平和条約ではSCAPIN第六七七号にあった竹島(独島)の名が明示的に排除
されていることを考えると、SCAPINやマッカーサー・ラインを根拠に竹島(独島)の
領有権を主張するのは無理があるという気がします。本書は、明示的に日本への竹島
(独島)帰属が認められていない以上、SCAPINやマッカーサー・ラインで示された
(暫定的)決定は対日平和条約によって確認されたと主張しているようなのですが、
これは無理があると思います。

敗戦後の日本の領土を確定したのはやはり1952年4月28日のサンフランシスコ平和条約
と考えるべきで、SCAPIN第六七七号の「日本の領土帰属の最終的に決定するものでな
い」という文言もそのように解釈すべきでしょう。また、SCAPIN第六七七号に明記さ
れていた竹島(独島)の名が対日平和条約において消されているのは実質的な意味が
あると考えるべきです。

以上、争点である三点を見てきましたが、僕は金学俊の主張には説得されませんでし
た。



(4) 戦後の動き


1952年1月18日に韓国の李承晩政権は一方的に平和ライン(李承晩ライン)を引き、竹
島(独島)を占領しました。これに対して日本は1月28日に抗議、1954年9月25日には
竹島(独島)の領有権問題を国際司法裁判所に提起することを申し入れます。しかし
韓国政府はこれを拒否します。拒否の理由を本書は次のように説明します。

第1に、《独島は初めから終りまで韓国固有の領土である。独島は紛争地域でもなく、
さらに「法的紛争」の地域でもない。そのような独島を、なぜ国際司法裁判所まで連
れて行かなければならないのか。》(210-1頁)

第2に、韓国には現存する国際司法裁判所に対する根本的な不信がある。《独島問題
を国際司法裁判所に依頼する場合、このような「領土紛争」を解決するための実定法
上の基準はいわゆる「実効的占有(effective possession)」の原則
であった。過ぎし日の西欧の帝国主義的領土獲得を裏付けた国際法理論に親しんだ国
際司法裁判所は、この原則について好意的だという評価を受ける。まさにその点を認
識している日本政府と学界は、1905年のいわゆる島根県への独島編入を「実効的占有」
の直接の証拠として掲げるのである。》(211-2頁)

第1の点は理解できます。自国が実効的支配している地域に関しては「紛争はない」
と突っぱねるのが外交戦略上の一つの常識ではあるからです(読書録620参照)。しか
しだからといって国際法的に竹島(独島)が韓国領だということにならないのは言う
までもありません。「違法占拠」と言われないためには国際法上の根拠が必要となり
ます。

これに関しておもしろいのは第二点です。金学俊は実効的占有の原則を認める国際法
に対して不信感を示しているのですが、これは既存の国際法の下では竹島(独島)を
実効的占有し、実効的支配してきたのは日本であることを認めているのと同じです。
金学俊は実効的占有の原則を《過ぎし日の西欧の帝国主義的領土獲得を裏付けた国際
法理論》と書いていますが、これは少なくとも1905年の日本編入時はこれが有効な国
際法であったことを表明しているのではないでしょうか。なお、僕が知るかぎり、こ
の実効的占有が現在の国際法で考慮されなくなったという話は聞いたことがありませ
ん(例えば、山本草二『国際法(新版)』有斐閣、1994年、284-7頁; 芹田健太郎
『日本の領土』中公叢書、2002年、152-7頁、藤田久一・坂元茂樹「Q&A「領土」とは
何か「領海」とは何か」『世界』2006年9月号、186頁、など)。



(5)おわりに


以上、総合的に見て、竹島(独島)が韓国領であるという主張には無理があるという
認識を改めて持ちました。とくに韓国側が実効的占有の原則を嫌がっているという事
実は大きな意味を持ちます。これはもし実効的占有の原則が適用されるのであれば竹
島(独島)の日本への1905年の編入は有効ということになるからです。少なくとも国
際法的には竹島(独島)は日本領であると言えると本書からは読める気がします。

なお、本書を読んでもう一つ気づいた重要な点は、韓国が竹島(独島)問題を日本の
侵略性を常に絡めて論じていることです。あまりに侵略性を強調するあまり、一方で
は日本は昔から竹島(独島)を侵略しようとしていたと述べながら、他方では日本も
昔から竹島(独島)が朝鮮(韓国)領であることを認めていると述べるなど矛盾と思
える記述もあるほどです(もし日本に侵略の意図があるなら「韓国領だ」などとは言
わないでしょう。また倭寇の行為も日本の侵略だという記述もあります(例えば
5頁))。

確かに日本の竹島(独島)の占有・支配と日本による朝鮮半島植民地化の期間が重な
っているのは事実です。したがって韓国人にとっては植民地化と竹島(独島)問題が
関連づけられているようです。僕が勉強したかぎりでは両者は区別されるべきだと思
いますが、このような大きな歴史解釈の相違が問題の根底にあるということが今回分
かりました。

2006.10.05.


関連読書録


【竹島関係】 http://tinyurl.com/3luzj
【韓国関係】 http://tinyurl.com/na42x



  • 最終更新:2010-08-29 15:51:12

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