(3)余りにも矛盾多い韓国「于山島=独島」説

【奪われた竹島】(3)余りにも矛盾多い韓国「于山島=独島」説
亀戸惣太2008/11/30

 竹島(独島)の領有権を主張する日韓両国は大昔の文献を引っ張り出して主張の論拠としているが、文献に出てくる島名が現在のどこを指すか比定するのは極めて難題だ。韓国が主要な根拠とする「于山島=独島」説も矛盾や問題が多く、これだけでは韓国の主張は極めて薄弱なものと映る。

 竹島、松島、りゃんこ島、やんこ島、独島、石島、于山島、リアンクール岩礁、鬱陵島、磯竹島、武陵島、アルゴノート島、ダジュレー島、竹嶼、観音島、鼠項島。――現在の竹島をめぐる領有権の議論で、主要な島嶼名だけでもこれだけの島名が文献上に登場する。日韓両国の歴史の中で、現在の竹島と、約92km離れた鬱陵島と周辺の島々の名称は、何度となく変遷し、混用されて、多くの混乱や誤解を招いてきた。それは今日でもなお尾を曳いている

 例えば、江戸時代の文献では、現在の竹島を「松島」と表記していることが多い。逆に、当時「竹島」と書かれているのは鬱陵島を指す。これらは、隠岐島と鬱陵島、朝鮮半島東岸との位置関係から言えることだ。「松島」を隠岐から竹島(鬱陵島)への中間にあり、2つの岩からなるなどと書かれていることからそれが分かる。だから、現代の私たちが文献を見る場合は、それがいつの時代に書かれたものか、よくよく飲み込んでかかる必要がある。

 江戸時代初期から、現在の竹島(当時の「松島」)は、アシカ・アワビ漁、竹の伐採などの目的で鬱陵島(「竹島」「磯竹島」とも)に渡る途中の目印とされたほか、漁場としても利用されてきた。1618年(1625年説もある)、鳥取藩の町人・大谷甚吉、村川市兵衛は漁労のため幕府から鬱陵島への「渡海免許」を受けた。その後、70年にわたって同島や周辺を独占経営してきた。

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鳥取藩士岡島正義の「竹島考」に載っている「竹島松島之図」。左上の「竹嶋」が鬱陵島、その右下の「松嶋」が今の竹島を指す。(鳥取県立博物館所蔵。竹島問題研究所ウェブサイトから引用)

 幕末近くに鳥取藩士岡島正義がまとめた地誌「竹島考」に載っている「竹島松島之図」には、現在の鬱陵島と竹島が周囲の岩礁も含めて具体的に記されている。これは前記した大谷・村川の両家が伝える原図から書き写したものだという。

 また江戸中期の地理学者・長久保赤水(1717~1801)が作成した「日本輿地路程全圖」は西洋の地図のように経緯度線を併記した画期的な日本地図だが、これにも「竹島」と「松島」が描かれている。それによると、「竹島」(鬱陵島)は東経131度線上で北緯37度と38度の間にあり、その南東131度と132度の間に「松島」(現在の竹島)が小さく描かれている。両島の位置関係はかなり正確と言える。

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長久保赤水「改正日本輿地路程全圖」の竹島周辺拡大図。やはり「竹島」「松島」とあるのは現在の鬱陵島と竹島(神戸大学附属図書館デジタルアーカイブから引用)

 これらの古地図や文献をもとに、日本外務省は「日本は古くから竹島と松島を認識し、遅くとも17世紀半ばには竹島の領有権を確立していた」論拠にしてきた。ただし、韓国側は「渡海」は外国へ渡航する意味だから、逆に日本側も独島(現在の竹島)を朝鮮領と認識していた証拠だ、と反論している。

 韓国側が文献類から領有を主張する最も積極的な根拠は「于山島=独島」説だ。韓国の「独島学会」が主張をまとめた日本語版資料集「独島に対する日本領有権主張が誤りである理由」などによると、西暦512年、朝鮮半島に統一国家を築く新羅の智證王が于山国を征服した。朝鮮最古の史書「三国史記」(1145年)に記されている。この于山国は現在の鬱陵島のことで、以後ずっと新羅(後に朝鮮、韓国)の領土だったという。

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朝鮮の地理書「東国輿地勝覧・八道総図」の一部。韓国側が「現在の独島」と主張する「于山島」が図の右に、実際にはあり得ない鬱陵島の西側に描かれている(WIKIPEDIAより)

 1430年代の「太宗実録」に「于山島」という島の名が登場するが、位置関係は明らかではない。1531年の地理書「東国輿地勝覧」付属の地図「八道総図」にも「于山島」があり、それは鬱陵島の西側に同じ大きさで描かれている。韓国側の主張によると、この「于山島」は鬱陵島と共に于山国の地であり、于山島は今の独島(竹島)を指す。従って、512年の新羅の征服によって鬱陵島と独島は朝鮮領になったとする。

 独島は現に鬱陵島の東南東にあるのに、于山島はなぜ反対の西側に描かれているのか、また、于山島は独島のことだとする同時代の文献はあるのか、といった当然の疑問に韓国側は合理性のある答えを出せていない。さらに、鬱陵島(別名・武陵島)と「于山島」を同一視する朝鮮の文献も存在する。于山国はともかく、「于山島」は実在したにせよ、その位置は今日では全く分からなくなった「幻の島」というほかない。文献だけから見る限りでは、韓国側の敗色は極めて濃い。

主な参考資料:
・竹島の認知(日本外務省)
・独島に対する日本領有権主張が誤りである理由(韓国独島学会)

(つづく) ◇ ◇ ◇


  • 最終更新:2010-06-13 15:37:53

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