(5)敗戦直後の日本にGHQが定めた施政権の範囲

【奪われた竹島】(5)敗戦直後の日本にGHQが定めた施政権の範囲
亀戸惣太2008/12/19

 敗戦後の日本を占領した占領軍は1946年1月の指令で日本の施政権が及ぶ範囲を暫定的に定め、竹島を除外した。1951年のサンフランシスコ講和条約によって竹島は再び日本の施政権下に戻ったが、韓国側は46年以降、独島(竹島)は韓国の領有となったと「理解」する。占領軍指令とはどういう意味を持つものか。


 1945(昭和20)年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏し、第2次世界大戦が終結した。米国を中心とする連合国軍は、ダグラス・マッカーサー司令官率いる連合国軍総司令部(GHQ)を東京・丸の内に設置、サンフランシスコ平和条約発効まで日本は占領下に置かれる。

 GHQは日本政府を廃止せずに残し、政府を通じての間接統治をおこなった。占領政策を実行させるため日本政府に出した行政指令(SCAPIN)は、占領期間の約7年間を通じて2,204件にも及ぶ。

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日本の施政権が及ぶ範囲を示したGHQのSCAPIN第677号原文。Liancourt Rocks(竹島)は「及ばない」方に組み入れられている(日本外務省ウェブサイトから)

 占領開始からわずか4ヵ月後の46年1月29日、GHQはSCAPIN第677号を出し、日本の施政権が及ぶ地域と及ばない地域を定義した(第3項)。「日本の範囲に含まれる地域」は、

 a)北海道、本州、四国、九州
 b)対馬諸島
 c)北緯30度以北の琉球(南西)諸島を含む約1,000の隣接小島嶼

に限定された。そして、「日本の範囲から除かれる地域」として、

 d)鬱陵島、竹島、済州島
 e)北緯30度以南の琉球(南西諸島)諸島、伊豆、南方、小笠原、硫黄群島、また太平洋の沖ノ鳥島などの諸島
 f)千島列島、歯舞群島、色丹島が指定された。

 これらに加え、「日本の管轄権から特に除外される地域」として、1914年の第1次世界大戦以降、日本が奪取または占領した全太平洋諸島、満州、台湾、澎湖列島、朝鮮、樺太を挙げた。(第4項)

 竹島(SCAPIN原文ではLiancourt Rocks=リアンクール岩礁=と表記)はこのとき、鬱陵島、済州島とともに「日本の範囲から除かれる地域」に明記して組み込まれた。

 この第677号指令は、非常にズサンな指令として知られる。例えば、分離する理由など何もない伊豆諸島を誤って「日本の範囲から除外」する方に入れてしまった。伊豆大島の住民たちは「日本からの独立が指令された」と信じ込み、独自憲法制定や独自通貨の準備などに動き出したりする大騒ぎとなった。また、伊豆諸島、小笠原諸島と並ぶ「南方諸島」といった実在しない島名が記されてしまってもいた。

 この大混乱は、2カ月後の3月22日に出されたSCAPIN第841号で伊豆諸島の施政権を日本国が「回復」するまで続いた。「南方諸島」については訂正が行われず、どこを指すのかあいまいなままに放置された。

 韓国の独島学会は「677号指令は第5項で、日本領土の定義に修正を加える場合はGHQが必ず別途の指令を出すことになっている。変更の指令は結局出されなかったから、連合国の命令によって竹島は日本から韓国に返還されたのだ」と主張している。

 しかし、677号指令は次の第6項で「この指令中のいかなる規定も、ポツダム宣言の第8項に述べられている諸小島の最終的決定に関する連合国の政策を示すものと解釈されてはならない」と書かれている。ポツダム宣言は日本が降伏する根拠となったもので、当然、日本を含む関係国を拘束する。その第8項は日本の主権が及ぶ範囲を、本州など主要4島と「我ら(連合国)の決定する諸小島」に限定する、としていた。

 つまり、677号指令は、「日本領土の最終的な帰属を決定するものではない」と指令中にわざわざ明記しているのだ。これは当然と言えば当然のことで、占領軍司令部のような臨時的な軍事機関が、多数国の利害が複雑に絡み合う国境線を勝手に線引きすることなど許されるわけがない。占領政策を進める上で、暫定的に日本の施政権の及ぶ範囲を定めたものと解釈すべきだろう。

 韓国側の最近の情報として、2008年7月25日付の有力紙「朝鮮日報」日本語版は677号指令について、「これは独島が韓国の領土であることを最終的に示した国際文書となった」と書いている。だが、指令されたのは、SCAPIN原文では「Governmental and Administrative Separation(政治・行政上の分離)」であって、「領有(title)の分離」ではない。韓国側の解釈は誤りというよりは、意識的なこじつけというべきだろう。この指令の第5項を論拠に使っているのに、第6項には知らぬふりだからだ。

 「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済洲島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」

 ――1951(昭和26)年9月に調印されたサンフランシスコ平和条約によって、日本は連合国の占領から脱し主権国家として再独立した。条約はまた、日本が朝鮮に対して放棄すべき領土を、このように定めた(第2条<a>)。これこそが、ポツダム宣言で規定された「諸小島の帰属の最終的決定」に他ならない。竹島は「放棄する諸小島」に含まれなかったのだ。ここに至るまでに、日米韓の3国間に水面下でのさかんな駆け引きがあった。

(つづく)

主な参考資料:



  • 最終更新:2010-06-13 15:20:13

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