(6)対日平和条約で日本の領有が確定

【奪われた竹島】(6)対日平和条約で日本の領有が確定
亀戸惣太2009/01/16

 日本の現在の領土範囲が決まったのは、1951年のサンフランシスコ条約による。米国がこの条約案を起草している段階で、韓国は独島(竹島)を韓国領土と明記するよう米国と交渉し、拒否された事実があった。「ラスク書簡」として知られるこの米国の意思は平和条約に盛り込まれ、日本敗戦後の日韓間の領土帰属問題は決着したが……

 1951年7月19日、米国駐在の梁祐燦・韓国大使はアチソン米国務長官に書簡を渡した。内容は起草中の対日平和条約草案の第2条a項(朝鮮に対する領土放棄)を「朝鮮並びに済州島、巨文島、鬱陵島、独島及びパラン島を含む日本による朝鮮の併合前に朝鮮の一部であった島々に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄したことを確認する」に置き換えるよう求めるものだった(パラン島がどの島を指すのかは不明)。

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韓国に対して竹島を韓国領とする要求を拒否した「ラスク書簡」の冒頭部分(外務省HPから)

 米国は8月10日、ラスク極東担当国務次官補の書簡の形で回答し、韓国側の要請を明確に拒否した。

 「独島、または竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐島司の管轄下にある。この島は、かつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは見られない」

 米国は「竹島は本来の日本領土」との認識を再確認したのであり、韓国はいわば「ヤブをつついて蛇を出した」形となってしまった。

 平和条約の締結前、米国が条約案を起草している段階で、関係国から様々な注文がつき、水面下でアメリカと交渉していた。1951年8月15日の朝日新聞は、外務省の情報をもとに最終草案に向けた主要14ヶ国の態度をまとめている。

 たとえば、フランスは「ベトナム、カンボジア、ラオス3国も条約調印に参加すべきだ」と要望、インドは「米軍の日本駐留に関する条項を草案から削除すべきだ。ただし日米安全保障協定が締結されることには反対しない」、フィリピンは「条約で日本が賠償を支払うことを規定してほしい」などといった要望があった。

 韓国の要求について、記事は「対馬に対する領有権は主張しないが同島の非武装化を要求。日本人に持ち去られた朝鮮財産の賠償として60億ドルを要求」としか報じていない。「ラスク書簡」を受けた韓国は「竹島要求」を引っ込めていたのか、あるいは米韓間の竹島をめぐる交渉を朝日新聞がキャッチできなかっただけなのかは、分からない。いずれにせよ、日本は無人の小島でしかない竹島の帰属に当時はあまり関心がなかった。日本人の注目は、沖縄の信託統治や賠償問題に集中していた。

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衆院本会議で吉田茂首相による平和条約最終草案の発表を報じる新聞記事(朝日新聞1951年8月17日朝刊)。「史上最も寛大な条約」と当時評された。

 結局、サンフランシスコで開かれた対日講和会議には日本と戦争をした連合国側の52ヶ国が参加した。そのうちソ連、ポーランド、チェコスロバキアの東側3ヶ国は最終的に9月8日の調印式に出席せず、調印を拒否した。韓国は当初からこの会議に招かれなかった。

 こうして締結された平和条約では、「日本が権利放棄する地域」に「済州島、巨文島、鬱陵島」が書き込まれたが、竹島は含まれなかった。調印直後の日本政府の認識は「(竹島が)日本領土であるということがはっきり確認された」(草葉隆圓外務政務次官)と受け止めていた。極東を歴訪したヴァン・フリート米大統領特使の帰還報告も同様の見解を示している。「日本領としての竹島」はここで国際的承認が確定したことになった。

 韓国は対日講和会議への参加を要求したが、「連合国(参戦国)ではない」との理由で認められず、当然、平和条約への調印もしていない。だが、韓国だけは条約の文言について国際認識とは孤立した、まったく逆の「独自解釈」を行った。「条約は独島(竹島)を韓国領と認めた」というのである。

 韓国はその根拠として、

 1)条文中に「竹島は日本領である」とは明記されていない
 2)連合国軍総司令部指令第677、1033号が取り消されていない

などを挙げた。韓国にとって不利な「ラスク書簡」は完全に黙殺し、そこに至った米韓間の交渉も「なかった」ことにしてしまったのである。

 ここでいう指令第677号は前回触れたように日本の施政権の暫定的停止規定であり、第1033号は漁業禁止区域(マッカーサーライン)の設定である。共に竹島は日本の領域から除外されていた。

 韓国のこの「解釈」は、竹島についての言い分の中でも極めつけのお粗末なものだった。条約は「日本の利益が連合国以外の国から害されることはない」と規定している。つまり、韓国には平和条約に明記されている以上の利益(竹島)が与えられることはない。占領が終わり連合国軍総司令部が解体されたのに、その後も指令は有効とする主張も、虫がよすぎた。

 韓国だけの「竹島=韓国領」説は、日米両国を始めどの国からも無視された。冷戦下、日韓両国の新たな「親分」となった米国の意思が動かなかったことで、竹島の帰属争いは収束するかに見えた。

 1952年1月19日、突然、それは破られた。韓国の李承晩大統領が宣言した「李承晩ライン」である。宣言の直後、韓国は竹島を実力占拠した。平和条約の調印後、発効する52年4月までの「空白期間」をねらったタイミングだった。米国は早々に不介入を決め込む。以後、竹島問題は日韓両国の2国間交渉に舞台が移り、半世紀以上経った今日までもズルズルと引きずられることになる。 ◇ ◇ ◇



  • 最終更新:2010-06-13 14:56:51

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