(8)国民を欺き権力者同士で結んだ「密約」の禍根

【奪われた竹島】(8)国民を欺き権力者同士で結んだ「密約」の禍根
亀戸惣太2009/01/26

14年にわたって難航した日韓交渉を救ったのは、「竹島問題の棚上げ・現状固定」を取り決めた当時の日韓権力者同士の密約だった。日本政府が韓国による竹島の実効支配を「黙認」しているのは、この密約の存在によることはほぼ間違いない。

 日韓両国間で1965年6月に締結された日韓基本条約は、実に奇妙な条約である。日本による韓国の植民地支配と第2次大戦終結を経て初めて結ばれた「平和条約」にもかかわらず、両国間最大の懸案事項だった領土問題がスッポリ欠落しているのだ。

 両国間に深刻な領土問題があったのは事実だ。1952年1月に韓国が一方的に「李承晩ライン」を宣言したことで、日本海での領海・漁業権紛争がしきりに起き、それは竹島という無人島の「領土」問題も含んでいた。53年に韓国船に銃撃された「大邦丸事件」での死傷者は、まぎれもなく日韓領土紛争の犠牲者第1号だった。

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日韓基本条約に付属する漁業協約によって李承晩ライン(実線)は名目上「廃止」され、竹島周辺での日本漁船の安全は保障されることになった。旧李ラインを東端線とし、日本側要求の基線(点線)を西端線とする中間海域が日韓の共同漁場とされた。

 基本条約に至る日韓交渉が進められていた1962年4月、小坂善太郎外務大臣は国会で「日韓の国交が正常化するためには、竹島の問題が解決せられなければならない。それがなければ国交の正常化はない」と言明した。小坂の後任の大平正芳外務大臣も「(竹島問題を)棚上げにして国交回復を急ぐというようなことはしない」「国民のご納得がいかぬと思うので、私どもは、そういうことは毛頭考えていない」と答弁した。

 交渉が押し詰まった1963年1月の衆議院本会議で西村栄一議員(民社党)は次のような質問をした。「世人は、竹島問題をめぐるこのような政府の態度の中に、何かその背後に隠されたものがあるのではないかという疑念を禁じ得ない。権威ある某有力筋から聞くところによれば、日韓交渉再開にあたって、竹島問題は日韓交渉妥結後に話し合うという暗黙の了解のもとに再開交渉が開始されたのであるということを承っている」

 最も大事な領土条項を取り決められないのに、なぜ実質的な平和条約を結ぶことができるのか。まことに奇怪な話ではないか――。国会などでの追及に対し、外務当局はおおむね次の趣旨の答弁をした。

 竹島の帰属は結局解決できなかった。それ以外は合意に達していたので、竹島問題は今後の交渉に委ねることになり、それを正式な交換公文にする。将来はこれを根拠に、外交交渉として継続することになる。

 いちおうの筋が通っているようにも見える。しかし、それでもどことなく不自然な感覚が残った。政治家はもちろん、国民のだれもが竹島問題こそが14年にも及ぶ日韓交渉の最大の懸案だったことを知っていたからだ。「何か裏交渉での約束ごとでもあるのではないか」。そのような疑いの目で見る政治家やジャーナリストもいたが、あくまでも推測やうわさの域を出なかった。

 結局、外務当局の当時の説明にもかかわらず、竹島を帰属未決定の領土問題とする日韓交渉は今日に至るまで1度も開かれることはなかった。韓国側は独島(竹島)は韓国固有の領土だから、交渉の対象にすらならない、との態度で押し通したのだった。

 基本条約から40年以上も経ち、「裏交渉」や「密約」などすっかり忘れ去られていた2007年3月、突然、韓国の雑誌「月刊中央」が「竹島密約」を暴露した。日韓基本条約に伴う日韓交渉のなかで、竹島問題を棚上げし、「日韓両国が竹島の領有権を主張しあうことを互いに黙認する」との密約が交わされていた、と報道したのである。

 これを受け、日本では鈴木宗男衆議院議員(新党大地代表)が「竹島問題をめぐる日韓密約に関する質問主意書」を政府に提出した。当然のように政府は「密約が行われたとの事実はない」とニベもなく否定した。
 
 ところが、「竹島密約」はやはり実在したのだった。「月刊中央」の客員編集委員であるロー・ダニエルが最近、日本語による「竹島密約」(草思社)を出版した。日韓の現存関与者への直接取材を含む詳細な研究成果を読むと、密約は紛れもない事実であることが理解できる。ダニエルはソウル生まれのアメリカ人で、国際政治学を専攻する研究者(博士)である。

 ダニエルによると、密約は佐藤政権の副総理、河野一郎と韓国首相、丁一権との間で取り決められ、それぞれ佐藤栄作首相、朴正煕大統領の決裁を得て有効となった。

 裏交渉を手助けし、「密約」成立の場にも居合わせた当時の読売新聞ソウル特派員、嶋本謙郎のメモによると、最終的な文書は河野側が用意し、ソウルで丁に示された。A4判用紙4、5枚に邦文タイプされ、その中で竹島に関しては次のように書かれていた。

 竹島・独島問題は、解決せざるをもって、解決したとみなす。したがって、条約では触れない。
 (イ)両国とも自国の領土であると主張することを認め、同時にそれに反論することに異論はない。
 (ロ)しかし、将来、漁業区域を設定する場合、双方とも竹島を自国領として線引きし、重なった部分は共同水域とする。
 (ハ)韓国は現状を維持し、警備員の増強や施設の新設、増設を行わない。
 (ニ)この合意は以後も引き継いでいく。

 当時、日韓交渉をめぐって両国の世論は沸騰していた。とくに日本では「交渉は朴軍事独裁政権を助ける米日韓の帝国主義的陰謀」と反対する学生デモが相次いでいた。ここで竹島のようにナショナリズムを刺激しやすい議題で下手な結論を出したら、両国とも政権の命取りになりかねない。竹島問題で結論が出なければ、ほかの議題もすべて流れてしまう恐れもあった。李承晩という反日精神の権化のような政治家がかつて生み出した竹島問題は、この時代の日韓交渉の当事者らにとって「負の遺産」としてしか映らなかっただろう。

 ダニエルが解明したような「竹島密約」が事実だったとすれば、「平和条約」に領土条項が欠落しているナゾも、日本政府が韓国による竹島の実効支配に積極的な対抗措置を取らない理由も氷解する。ただ1つ、当時の裏交渉当事者たちの誤算は、自分の後継者たちが必ず「密約」を継承し、実行させる保障措置を講じておかなかったことだ。

 「韓国は現状を維持し、警備員の増強や施設の新設、増設を行わない」との「密約」ニ項は、軍事政権に替わって選挙で選ばれた韓国初の文人大統領、金泳三以降、引き継がれなかった。引き継ぎの手続きが失敗したのか、金泳三が密約を知りながら敢えて反故にしたのかは分からない、とダニエルは書いている。

 「密約」交渉をめぐる日本外交当事者の拙劣極まる外交技術も指摘しなければならない。「竹島の決着は後日の交渉に委ねる」と胸を張った交換公文なるものに、肝心の「領土問題」とか「竹島」と明記するのを怠った。ただ「紛争は外交上の経路で解決する」とあるだけだ。韓国側が「独島を意識したものではない」と否定すればそれで終わり。3文の価値もない文書に天皇の御璽(印)までもらって、うやうやしく交換し合ったに過ぎない結果となった。

 裏交渉の日本側当事者たちの誤算をもう1つ付け加えるなら、相手が現に「密約」を破っているにもかかわらず、日本外務省が何とかの一つ覚えのように、今日に至るまで忠実に密約を守っていることだ。国民を欺き、時の政権の利益のために結ばれた外交的密約の宿命かも知れない。そのツケは結局、現代のわれわれ国民に回されていることを知るべきだろう。



  • 最終更新:2010-06-13 14:41:19

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