SF条約の草案段階で(日領竹)

SF条約草案の経過
 
 SCAPIN(連合軍最高司令部訓令)第677号(1946.01.29)では、日本の行政権の行使に関する範囲に言及して「鬱陵島・竹島・済州島(Utsuryo (Ullung) Island, Liancourt Rocks (Tako Island) and Quelpart (Saishu or Cheju) Island)」を除いています。韓国の領土とは記されていないものの、韓国にとっては領有権の主張ができるかもしれない唯一の客観的資料ですから、韓国のメディアは何度も何度も「新発見」という見出しを紙面に踊らせて、国民にアピールしています。ただ、同書にハッキリ明示された「ポツダム宣言の第8条にある小島嶼の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない。」は意識的に伏せています。
    • (Nothing in this directive shall be construed as an indication of Allied policy relating to the ultimate determination of the minor islands referred to in Article 8 of the Potsdam Declaration.)
    •  この指令の何も、ポツダムDeclaration.)の第8条に記載のマイナーな島の最終的な決定に関する連合国の方針の徴候として解釈されません

 米国の支持を得ていた李承晩(大韓民国臨時政府初代大統領)は漁猟海域確保のために竹島(=独島)の領有を米国(連合国)に強く働きかけていたらしく、半月後(1946.02.13)にSCAPIN第677号に関してGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、「①領土に関する決定ではないこと及び②領土の決定は講和会議にてなされること」と、誤解を招かぬようにわざわざ念押しをしています。

 SCAPIN第1033号「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」(1946.07.22)発行後も、米国務省は駐韓米国大使に書簡を送付して、「竹島を極東空軍の射爆場とする。またその使用については、日本の文民当局を通して隠岐及び本州西部の住民に通告した後に初めて実施される。」と告げています。
    • (A later SCAPIN, No. 1778 of September 16, 1947 designated the islets as a bombing range for the Far East Air Force and further provided that use of the range would be made only after notification through Japanese civil authorities to the inhabitants of the Oki Islands and certain ports on Western Honsu. )
    •  レンジの使用が西洋のHonsuの上で沖諸島と特定の港の住民に日本行政当局を通して通知の後だけなされるならば、(Aは、SCAPIN(極東空軍のために、そして、さらに爆破範囲としての小島と称される1947年9月16日のNo.1778)で後であります。)

 更に、朝鮮半島南部を統治していた米軍政府は、1947年8月のレポートにおいて、竹島の管轄権の終局的処分は平和条約を待つと述べています。

 要するに竹島の問題は、SF条約に島名が有る無しとか、鬱陵島の一部と見なす見なさないの問題ではなく、李承晩が多分執拗に要求し米国は辟易としていた状態で、竹島は十分に意識されている存在なのです。

 SF条約に向けて連合国側で草案が作成されます。1949年12月29日段階の草案は日本の領土を具体的に列挙する方式で書かれいます。当然、対馬も竹島(リアンクール岩礁)も日本領土として列挙されています。ただ、以降の草案の記法は日本領土を規定する方式から日本が放棄する地域を規定する方式に変更となり、「日本は済州島、巨文島、及び、鬱陵島を放棄する」という文言になります。余りに島数が多いので修正作業の負担を減らす為とされています。

 韓国は、「日本は鬱陵島を放棄した。独島(=竹島)は鬱陵島の属島だから、日本は独島も放棄したことになる。」と、経過を知った上で、主張しています。



  • 最終更新:2012-10-15 17:30:55

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